みなさんこんにちは✨
オリジナル御朱印帳の製作、様々なお洒落ご朱印帳、お城印帳を販売している 、日宝綜合製本の福富です❤️٩( ᐛ )و
以前、今年大人気の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんで、源平合戦ゆかりの地<岡山編>をご紹介しましたが、今回のブログでは舞台を兵庫県に移し、兵庫県神戸市にある須磨寺(すまでら)をご紹介します!😆
須磨寺は源平合戦の名残が溢れ、見どころと、ご朱印帳の種類が豊富なお寺として有名です❤️٩( ᐛ )و
はじめて行く方にも分かりやすくアクセスや、たくさんの見どころをまとめていますので、是非ご覧ください〜😆🎉
目次
1.アクセス
住所:〒654-0071 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6−8
FAX:078-731-6859
拝観時間:8:30~17:00
【公共交通機関をご利用の場合】
🚌バスの場合……「天神下」下車(徒歩12分)
🚃電車の場合……JR「須磨駅」下車(徒歩12分)
山陽・阪神・阪急電車「須磨寺駅」下車(徒歩5分)
【🚘お車の場合】
- 国道2号線から離宮道を北上して左折、旧神明道路を西へ
- 阪神高速・月見山ICより旧神明道路を西へ
- 第2神明高速・須磨ICより離宮公園脇の信号を右折
無料の駐車場は旧神明道路のトンネルを出てすぐ左手にあります。
普通車30台、大型バス5台駐車可なのでお車で参拝される方にも嬉しいのではないでしょうか✨
営業時間はAM8:30~PM5:00
2.ご由緒
須磨寺として親しまれていますが、正式名称は「上野山福祥寺(じょうやさん ふくしょうじ)」です👀
その昔、兵庫区和田岬の海で見つかった聖観世音菩薩像を安置するため、淳和(じゅんな)天皇の命で兵庫区会下山に恵偈山北峰寺(えげさん ほくほうじ)が建立されました⛩
後の仁和二年(886年)、光孝天皇の命で聞鏡上人が現在の地に上野山福祥寺を建立します。北峰寺から聖観世音菩薩像を移して本尊として祀ったのが始まりと伝わっています。
記録によれば、本尊聖観世音は嘉応元年(1169年)に源頼政が安置したと残っています✨
<なぜ源平合戦ゆかりの地なの?>
須磨寺は寿永3年(1184年)に源平合戦「一の谷の戦い」の舞台となったことで有名になりました✨
そのため、源氏軍・平家軍にまつわる多くの史跡や宝物が須磨寺に残されています。
一の谷の戦いとは「鎌倉殿の13人」でも見せ場となった、天才戦術家 源義経の才能が発揮されたという戦いです👀
そしてこの戦いで・・・山の急斜面を下る、かの有名な「鵯越の逆落とし」が生まれました💡
さらに平敦盛と熊谷直実の『一騎打ち』・『青葉の笛の音色』は一の谷の戦いが舞台です。
そのため、源氏軍・平家軍にまつわる多くの史跡や宝物が須磨寺に残されているんです!
源平合戦を辿るうえでも欠かせないスポット、それが一の谷の戦い及び須磨寺なんです✨😆
3.参拝の様子
今回は車🚘で須磨寺にお参りしてきました。
駐車場は離宮公園脇の信号を右折したあとにあるトンネルのすぐ近く✨
お盆だからか、普通車でも最大30台収容可能な駐車場には車がいっぱい💦
さすが、有名な須磨寺です✨(参拝前から期待が高まります!!)
中には源平合戦ゆかりの地を辿る旅をしている人もいるかもしれませんね😆✨
もし「駐車場がいっぱいで停められない〜😰💦」
となった場合でも諦めないでください❗️
なんと地下にも駐車場があります!(笑)
満車だったら近くに警備員さんが常駐しているようですので、聴いてみることをおすすめします💡
地下駐車場への入り口がこちらです〜^^
さて、幸いにも🚘を駐車することができたのでいざ参拝へ❗️
駐車場はお寺の裏手にありますが、せっかくなので正面の参道から入り直すことに💪⛩
まず参道を進んでいき、左手にあるのが正覚院(しょうかくいん)
ここには愛染明王(あいぜんみょうおう)が祀られています。
<ちょっとした豆知識💡>
愛染明王は憤怒の形相で「怒り」をイメージされる方も多いかもしれませんが、実はそれは悪を追い払うための顔で「幸運を開き、愛嬌」を授けるといわれています👀
とっても縁起の良い神様なんです✨
天気☀️にも恵まれて絶好の参拝日和✨
青空の元参道を進んでいき、橋を渡ると仁王門があります。
こちらは源頼政が再建した門⛩です
仁王像は鎌倉時代の仏師、運慶(うんけい)と湛慶(たんけい)がつくったものといわれています。
鎌倉時代ですから今から800年以上も昔❗️
運慶と湛慶は仏師として非常に有名で全国各地にある重要文化財なども手がけています。
これは須磨寺の見どころのひとつ間違いなしですね✨
仁王門をくぐって右手には、亀さん🐢が気持ちよさそうに日向ぼっこをする池があります。
と、実はこの池もただの池ではなく、地域の水生生物を保護するためにつくられた池だそうです💡
季節になると蓮の花も咲きますので、初夏から夏の間には蓮の花さく素敵な池を見ることができるでしょう✨٩( ᐛ )و
池の向かいには弘法岩五鈷水。
ここで御手水をいたします✋
ひやりと冷たいこの水は須磨寺の裏山から湧き出た水だそう😆
その奥には阪神淡路大震災追悼碑、千手観世音があります。
仁王門の左手にあるのは櫻寿院です。
阿弥陀如来が祀られていますが、阪神淡路大震災で倒壊したため、平成13年(2001年)に再建されとのことです。
その先にあるのが、須磨寺みどころのひとつ、源平の庭です!
源平合戦の一の谷合戦における熊谷直実と平敦盛の一騎討ちを再現したお庭です。
左に構えるのが平敦盛・右には熊谷直実の像が、青空と太陽に照らされてとっても素敵でした❤️
史実だと、一騎討ちで敗れた敦盛は首を落とされてしまいます😰💦
熊谷直実と平敦盛の一騎打ち、そしてその後の結末は平家物語の中でも特に悲しいお話として有名ですね。
さて、須磨寺にはこのように源平合戦にゆかりのある史跡や宝物がたくさんあります。
源平合戦ゆかりの地をめぐる旅として、見ることができるのであれば史跡や宝物は絶対に見落としたくないもの!
これらが見れるのは、源平の庭の先にある宝物館です✨😆
この宝物館では敦盛の笛として有名な『青葉の笛』を見ることができます❤️٩( ᐛ )و
須磨寺に来たらここはぜひお見逃しなく👀❗️
<現物を見たい!という方は以下に青葉の笛をご紹介しますのでご注意ください🙇♀️>
源平合戦を語るうえで絶対に見ておきたかった敦盛の笛。
太い笛が青葉の笛、細い笛が高麗笛です。この笛で敦盛は源氏の武士たちを感動させたんですね😢
青葉の笛を見ているだけで、一の谷の戦いが歌となって聞こえてくるようです・・・😭
悲しい結末を迎えた平敦盛の最期を歌った『青葉の笛』も、敦盛が身につけていたこの笛が元となっています。
<青葉の笛>
一の谷の 軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
更くる夜半(よわ)に 門(かど)を敲(たた)き
わが師に託せし 言の葉(ことのは)あわれ
今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に
残れるは「花や 今宵(こよい)」の歌
宝物館では弁慶にゆかりのある鐘も見ることができます👀
数百年も前のものだというのに、汚れも錆もなくとっても綺麗な状態で保管されていました✨٩( ᐛ )و
この鐘は一の谷合戦の際、弁慶が安養寺から担いできた鐘(陣鐘)と伝わっています👀
陣鐘とは戦の最中に合図を出すための鐘で、その音を合図に進軍や撤退がおこなわれていました。
そして、弁慶はなんと刀の先に引っかけて持ち運び陣鐘の代わりにしたそうです😲❗️
なんとも弁慶らしいエピソードですね(笑)
ちなみに境内にはこの鐘の複製があります。
一の谷の戦い800年記念につくられたものですが、なんと!
こちらの鐘は参拝者が鳴らすことができます!😆🎉
源平合戦ゆかりの地をめぐる者としては鳴らさずにはいられない!
須磨寺にお越しの方はせっかくの参拝の機会にならしてみてはいかがでしょうか❤️٩( ᐛ )و
このブログでご紹介する他にも、宝物館には源平合戦ゆかりの貴重な品が様々保管されています。
お時間のある方はゆっくり見ていってください✨
すでに見どころ満載ですが、源平合戦ゆかりの地と歴史に思いをはせつつ、お参りを続けます🏃
さて、次に進んでいきます🏃
源平の庭の向かいには、蓮生院があります。
「蓮生」とは熊谷直実が「蓮生坊」と名乗ったことに由来するそうです。
直実は敦盛の冥福を祈るため、法然上人のもとで修行しました。そして諸国行脚の途中で須磨を訪れたといわれています❗️
ここには不動明王が祀られています⛩
唐門をくぐるといよいよ本堂です……!
現在の本堂は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が再建したものです👀🌱
内陣の宮殿は応安元年(1368年)に建てられたもので、重要文化財になっています❗️
こちらには聖観世音菩薩、脇侍毘沙門天、不動明王が祀られています⛩
その左横には、大師堂(手前)と八角堂(奥)
そしてこちらも須磨寺みどころのひとつ!二つの建物の間にあるのが、義経腰掛の松です!
800年も前の松。長い時間の経過を感じ・・・源平合戦の名残を感じます。
源平合戦一の谷の戦いのあと、源義経はこの松に座って敦盛の首と笛(青葉の笛)を実検したといわれています。今ではかなり古くなっているため、座ったら崩れてしまいそうですね😅
朱色が鮮やかな三重塔の向こうには、敦盛塚(首塚)があります。
一の谷合戦で熊谷直実に討たれた平敦盛を弔うため、首が祀られています🌱
かつてはここに笛を奉納して子供の健康を祈る風習があったそうです👀
ちなみに・・・須磨浦公園にある『敦盛塚』には胴体が祀られています😲
熊谷直実との一騎打ちから、宝物館に眠る『青葉の笛』、そして源義経の腰掛けた義経の腰掛け松、最後に平敦盛の首塚。 一の谷の戦いがはじめから終わりまで、ひとつの物語のように感じる須磨寺でした。
ここまで源平合戦にまつわる見どころをたくさん紹介してきましたが、須磨寺にはまだまだたくさんの見どころがあります!
源平合戦ゆかりの地のなかでも見どころが盛りだくさんのため、続きは後編でご紹介しますね😆✨
是非楽しみにしていてください❤️٩( ᐛ )و
4.須磨寺の御朱印
さて、ここからは源平合戦ゆかりの地をめぐる旅の、もうひとつの目的「御朱印」をいただきに!😆
須磨寺の御朱印は唐門の近くにある寺務所でいただけます!
須磨寺は八種類も御朱印があるということで有名です。
合計で八種類となっていますが、墨の色違いを除くと五種類の御朱印を選ぶことができます❤️٩( ᐛ )و
<須磨寺の御朱印種類>
- 大悲殿の御朱印
- 阿弥陀如来の御朱印
- 神戸六地蔵の御朱印
- 御詠歌の御朱印
- 神戸七福神巡りの御朱印
今回は中でも須磨寺を代表する大悲殿の御朱印をいただきました。
お値段は300円✨
力強い御朱印ですね〜❤️
種類が豊富な御朱印は見てるだけでもどれにしようか悩むほど💦(笑)
今回は選びませんでしたが、御朱印のなかには御詠歌の御朱印があります。
「よにひびく 青葉のふえの 名にぞきく すまのみてらの 松風のこゑ」と書かれた御朱印は非常に美しいと人気のものです✨😆
源平合戦ゆかりのものとして、情景が浮かぶ御朱印を残したい方は是非現地でご覧になってくださいねッ٩( ᐛ )و
<最後に、須磨寺近くにある源平合戦ゆかりのスポットをご紹介>
須磨浦公園にある「一の谷 戦の濱碑」
「一の谷」は鉄拐山と高倉山との間から流れ出た渓流にそう地域で、この公園の東の境界にあたります。
この谷を200mあまりさかのぼると二つに分かれ、本流に対して西の谷は「赤旗の谷」と呼ばれます。
平家の赤旗で満ちていたことが由来だと伝えられています。
一の谷から西一帯の海岸は「戦の濱」といわれ、毎年2月7日の夜明けには松風と波音のなかに軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられています😆
目の前には瀬戸内海の水平線が見られます❤️😆
天気も良くて、白い雲に青い空、海と心が落ち着きました。
こうしてぼんやりと風景を眺めていると、かつてここが戦場だったことが嘘のようですね。
平和な現代に感謝をこめて、しばし海を眺めてきました🙏
5.御朱印帳の紹介
今回も源平合戦ゆかりの地をめぐる旅<兵庫編>のお供をしてくれた御朱印帳を紹介しますッ✨😆
今回選んだのはこちら!✋
<川中島の戦いを箔押しデザインした御朱印帳です✨>
この御朱印帳は表と裏でデザインが違い二冊の御朱印帳を表裏左右に並べると一枚の絵になるといった今までにない後朱印帳です❤️٩( ᐛ )و
川中島の戦いの上杉謙信(左)と武田信玄(右)
そして箔押しの品質も非常に細かく、箔押しでも滑らかな曲線でデザインが印刷されているのも特長✨😆
源平合戦における熊谷直実と平敦盛の一騎打ちと合わせて・・・ということもありますが、もうひとつ理由が!
この御朱印帳はPPポケットが22枚もついて、たくさん御朱印が保管できるからなんです〜🎉😆
先ほどもご紹介した通り須磨寺の御朱印は種類がとっても豊富✨👀
なので今後源平合戦ゆかりの地をめぐり御朱印を集めていくのに、収納性の良さは欠かせませんッ٩( ᐛ )و(笑)
川中島の戦い御朱印帳をご購入されたい方はこちらから↓
最後に、「オリジナルの御朱印帳」も製作可能です。思い出の生地や服などがあればそちらを使用し御朱印帳にリメイクできます。
これまでに「お祖母様の形見の着物」の生地を使用したオンリーワンの御朱印帳を製作、思い出を形にするお手伝いをさせていただきました。
ご興味がある方は下記のページをクリック
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TEL:086-275-7863
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