こんにちは!
オリジナル御朱印帳の製作、様々なお洒落ご朱印帳、お城印帳を販売している 、日宝綜合製本の福富です(^_^)✧
今回ご紹介するのは東京都港区にある四大東照宮の一つ「芝東照宮」のご紹介です。
東照宮の中でも代表される東照宮を四大東照宮と呼びます。
四大東照宮とは東照大権現などとして徳川家康を祀る東照宮の中で、由緒などから鑑みて、主要な四つの東照宮の総称を指します。
そんな四大東照宮に入っている芝東照宮を今回も沢山の画像で分かりやすく紹介しています。
ぜひ最後までご覧いただき、芝東照宮へ行かれるご参考にしてください^^
目次
芝東照宮のアクセス
【芝東照宮の住所】
〒105-0011
東京都港区芝公園4丁目8−10
【芝東照宮の電話番号】
【芝東照宮へ電車でのアクセス】
・都営地下鉄三田線「芝公園」下車 A4出口より徒歩すぐ
・都営地下鉄三田線「御成門」下車 A1出口より徒歩にて約2分
・都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門」下車 A6出口より徒歩にて約5分
・都営地下鉄大江戸線「赤羽橋」下車 赤羽橋口より徒歩にて約7分
・JR山手線「浜松町」下車 徒歩にて約12分
芝東照宮のご由緒
芝東照宮は当初、増上寺の境内にて祀られていました。増上寺は天正18年(1590年)に徳川家の菩提寺に定められました。
当時は日比谷にあった芝東照宮ですが、慶長3年(1598年)の江戸城拡張工事に伴い、現在の地へ移転しました。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に関東浄土宗において第一の実力を持ちました。増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称されました。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものです。
安国殿のご神体は慶長6年(1601年)正月、六十歳を迎えた家康公が自ら命じて彫刻させた等身大の寿像で、生前は駿府城において家康公自らこの像の祭儀を行なっていたそうです。亡くなる間際に家康公は見舞いに来た増上寺の僧侶に「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と言って、この像を増上寺に祀るよう遺言していたそうです。現在、像は社宝として東京都重要文化財に指定されています。
明治初期に神仏分離令により、増上寺から切り離され芝東照宮となりました。昭和20年(1945年)の東京大空襲により、御神像と御神木を除くすべてが焼失。現在の社殿が再建されたのは昭和44年(1969年)のことです。
【ご祭神】徳川家康
芝東照宮への参拝の様子
前回ご紹介した「芝大神宮」から歩いて向かいます。芝大神宮からは徒歩で約10分と近い距離なので、逆に芝東照宮に行かれた際は芝大神宮へも足を運んでみてください^^
道中、東京タワーが見えました。芝大門交差点の大門をくぐり、増上寺の方に向かいます。
増上寺については以前、詳しくご紹介していますのでブログをご覧ください^^!
徳川家の菩提寺・増上寺の御朱印から見どころまで詳しくご紹介! – 日宝綜合製本 (nippoh-goshuin.net)
芝東照宮は芝公園の中にあります。
芝公園のマップはこちら!
【芝公園マップ】
増上寺 三解脱門の手前を左に曲がります。
マップによると、芝東照宮へ向かう手前に「ペルリ提督の像」なるものがあるそうで……
気になったので行ってみました!
【芝公園内にあるペルリ提督の像】
ペルリ提督って誰?
と思い、調べてみればなんと歴史の教科書で誰もが知る「ペリー来航」のペリー提督のことでした!
英語読みで「ペリー」オランダ読みで「ペルリ」なんだそうです^^。
なぜオランダ読みなのかというと、ペリー来航の際に会話で使用された言語がオランダ語だったからです!
当時、日本にいた通訳がオランダ語を使用しており、それに対応してアメリカの通訳もオランダ語を使用。流れにするとこのような感じです^^
浦和奉行所(日本語)
↓
通訳(オランダ語)
↓
通訳(オランダ語)→ペリー(英語)
そのため当時の出来事を記録した文書などにも、オランダ読みの「ペルリ」と記録が残されています。
この像は昭和28年の『開国百年祭』に際し、ペリー提督の出身地であるアメリカ合衆国・ロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として親善の印に贈られたものだそうです。
像を見ながらしみじみ思ったのですが、海外の方なので彫りが深いですよね。当時の日本人にしてみれば、衝撃的な顔立ちに見えたかもしれませんね^^
近くには「万延元年遣米使節団記念碑(日米修好通商条約)」もあります。
ちなみにこちらは1960年の日米修好通商百年記念行事の一環でつくられました。
【芝公園内にある万延元年遣米使節団記念碑(日米修好通商条約)】
さて、寄り道から戻って芝東照宮へ向かいます。芝公園を右手に見ながら歩き続けます。
芝東照宮の最寄り駅は都営三田線の「芝公園」駅です。A4出口が近いです!
芝東照宮の参道までやってきました。
参道脇に駐車場がたくさんある、と思いきやほとんどが月極駐車場。
神社専用のものはごくわずかのようなので、芝東照宮へのお参りは公共交通機関のご利用がおすすめです^^
【芝東照宮の参道】
入り口の石標には「東照宮」としか書いていません。
【芝東照宮の石標】
芝東照宮は全国各地にある東照宮のなかでも、四大東照宮と呼ばれている東照宮のひとつとされています。
他三つは「日光東照宮」「久能山東照宮」「上野東照宮」です。
四大東照宮、いつか制覇してみたいです(^^♪
【芝東照宮の狛犬】
芝東照宮の狛犬は、1788年1月に奉納されたもので注連縄つきの台?に乗っています^^
また、桜の季節には狛犬の周りにたくさんの八重桜が咲き、八重桜に囲まれた狛犬をご覧いただけます。
【芝東照宮の鳥居】
芝東照宮の鳥居は戦後に再建されていて、 高さ約7m、幅約9mの大きさです。
また、鳥居の種類は明神型鳥居です。
鳥居の扁額には東照宮とあり、その左に「家達」と書かれています。
調べてみると、徳川家達(いえさと)の書とのこと。
家達は徳川宗家16代当主にあたる方で、1940年の戦時中、東京にオリンピックを招致しようと試みた際の組織委員会・委員長を務めた人物でもあります。
さらに参道を進みます。
東京とは思えない自然豊かな境内で、たくさんの緑に心が癒されます^^
参道の途中に、天然記念物の公孫樹(いちょう)の樹がありました。
芝東照宮の御神木です。
【芝東照宮のイチョウの木(公孫樹) 東京都指定天然記念物】
このイチョウの木は、
推定樹齢400年程
高さ約21.5m
幹の周囲6.5m
という大きさです!
芝東照宮はかつて増上寺の安国殿だったのですが、明治初期の神仏分離令により増上寺から分離して東照宮になりました。
安国殿の再建に際し、寛永18年(1641年)に三代将軍・家光公が植えた公孫樹の樹がこちらだそうです。
【芝東照宮の手水舎】
手水鉢の基礎部分が波の彫刻が施されている珍しいタイプです。
しっかりと心と手を清めて先に進みます。
【芝東照宮の拝殿】
拝殿までやってきました。
拝殿の創建は1633年(寛永18年/江戸時代初期)で再建されたのは1641年(嘉永18年)、1969年(昭和44年)8月です。
扁額には「東照宮」の文字があります。
徳川家康公は勝運と災難除けの象徴とされています。
必勝祈願や厄除け、ほかにも家康公が医学に高い関心を持っていたことから、健康祈願をしてもいいかもしれません。
芝東照宮の御朱印
それでは御朱印をいただきに社務所へ向かいます!
社務所は拝殿の左です。
足元に方位を表した石標がありました。神社は東に向いていることがわかります。
芝東照宮の御朱印、初穂料は500円です。
御朱印とセットで「芝東照宮道中安寧守」(しおり)をいただきました!
御朱印はこちら
右上には徳川家の家紋「三つ葉葵」があり、その下には御祭神・徳川家康公の文字が^^
東照宮ならではの御朱印となっていました!
また、「芝東照宮道中安寧守」(しおり)は、同日お参りした芝大神宮とは雰囲気がまったく異なる「しおり」です。
しおりには「日光杉並木古材」が使用され、手に持ってみると杉のいい香りが(*’▽’)
両社の個性を出しつつ繋がりの強さを感じられる素敵な試みだと思いました(*^^*)
ちなみに芝東照宮オリジナル御朱印帳にも同じ素材が表紙に使われています。
さらに日光東照宮のオリジナル御朱印もこちらで購入可能です。四大東照宮同士でもしっかりと繋がっている様子が伺えます。
この日は幸運にも二つのしおりをいただくことができました\( ^^)/
以上が四大東照宮の1つ芝東照宮のご紹介でした〜^^
東京都港区にあり、境内は緑に包まれ神聖な雰囲気を感じれます!
是非、参拝に訪れてみてください^^
最後に芝東照宮にピッタリの御朱印帳をご紹介!
今回ご紹介するのは「柴犬」柄の御朱印帳です!
「芝」大神宮だから、「柴」犬です。説明不要かもしれませんが(^^;
かわいい柴犬の御朱印帳は当店でも発売開始から大人気! 御朱印集めのお供にぜひ!
さらに!!
「日宝はオリジナルの御朱印帳」も製作可能です。
お寺、神社のオリジナル御朱印帳の製作はもちろん、デザインや表紙素材のご提案も可能です!
現在、オリジナル御朱印帳のご検討をされている方はご相談だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください〜^^
ご興味がある方は下記のページをクリック♫
日宝綜合製本株式会社
岡山県岡山市中区今在家197-1(各所在地を見る)