こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは京都の世界文化遺産にも登録されている「西本願寺」です。
さらに次回は「東本願寺」をご紹介する二本立てとなっています!
前回の記事「大阪・豊國神社」とも繋がりがあるため、ぜひ併せて読んでいただければと思います。
目次
西本願寺とは
本願寺は親鸞聖人を開祖とする浄土真宗本願寺派の本山である。正式には「龍谷山本願寺」といい、「西本願寺」や「お西さん」と呼ばれ親しまれている。
本願寺は親鸞聖人の末娘・覚信尼や聖人を慕う東国の門弟達によって建てられた親鸞聖人の廟堂を起源としている。その後第3代宗主覚如上人が廟堂を寺院とした。京都・大谷廟堂である。
その後、中興の祖である第8代宗主蓮如上人によって教えが急速に広まる。しかしこれが比叡山を刺激し、比叡山衆徒によって大谷本願寺が破棄される。蓮如上人は京都・山科に本願寺を再興して亡くなった。山科本願寺も次第に発展したが、ここも日蓮宗徒らによって焼き払われる。そこで生前の蓮如上人が創建した大阪・石山へ移転する。これが長きにわたる石山合戦の舞台となる。
信長と和議が結ばれ、第11代宗主顕如上人は大阪石山本願寺を退去した。そして豊臣秀吉から寄進を受け、現在の京都堀川六条に移転した。
実際に西本願寺を訪れて
京都での仕事を15時に終え、京都駅から西本願寺に歩いて向う。
京都駅から西本願寺までは歩いて15分ほど。
七条堀川の交差点で西本願寺が見える。
西本願寺は平成6年に「古都京都の文化財」として登録された世界文化遺産だ。
西本願寺には重要文化財や国宝に指定されている建造物がいくつもある見どころ満載のお寺となっている。
少し進むと、「御影堂門」が見えてきた。
【西本願寺 御影堂門(ごえいどうもん)】重要文化財
西本願寺の境内の東側には二つの門があるが、そのうちの一つが「御影堂門」である。
一般的な寺院にもみられる四脚門という形式の門だが、とても大きく重厚感ある見た目だ。
御影堂門のほぼ正面には御影堂が建っているが、間に目隠塀と大きく立派な大銀杏がそびえ立っており、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人をお祀りする御影堂が見えづらいようになっている。
御影堂門を一礼してくぐる。
御影堂門をくぐると右にある「お茶所」で境内のマップをもらう。
こちらのお茶所は総合案内所になっているほか、無料休憩所を兼ねていて自販機やベンチがあり休憩所としても利用できる。
施設内には重要文化財でもある「梵鐘(ぼんしょう)」が展示されているのでこちらも是非立ち寄っていただきたい。
【西本願寺の手水舎】 重要文化財
お茶所の目の前に手水舎がある。
神社の手水舎は参拝の前に身を清める意味で、両手を清め口をすすぐが、西本願寺の手水舎は意味が違い、
「立派なお堂を痛めず、後世に残していきたい」という思いから足を洗うために作られたと言われている。
手水舎で心と手を浄め先に進む。
手水舎の左手に「西本願寺の大銀杏」がある。
【西本願寺 大銀杏】 天然記念物
「本願寺のイチョウ」があった。
訪れたのが10月ということもあり紅葉にはまだ早かったが、紅葉の季節はとてもきれいだろうなと思う。
この大銀杏は枝が大きく横へと伸びており、まるで根っこを天に広げたような姿から「逆さ銀杏」とも呼ばれている。
その樹齢は約400年であり、京都市の天然記念物に指定されている。
次に御影堂に向う。
【西本願寺の御影堂】 国宝
御影堂はとても大きな建物で、奥行48m x 左右62m x 高さ29m、一度に1200名以上が参拝できる
「御影」というのは、宗祖である親鸞聖人の木像、それはつまり聖人の御影ということで、その御影が安置されているから御影堂だ。
親鸞聖人の木像の両脇には本願寺歴代宗主の影像と、その両余間に十字名号(帰命尽十方無碍光如来)と九字名号(南無不可思議光如来)を安置している。
【西本願寺の御影堂の注目ポイント】
西本願寺御影堂でご注目いただきたいのは大きさだけではない。
その1つが「沓石」(くついし)だ。
「沓石」とは柱を受けるために用いる石のこと。写真の柱の下に据えられている土台が沓石。
一見して石には見えないが、木の隙間から中を覗くと中身が石であることがわかる。もともと木造であった沓石を、江戸時代末期の修理にあたって木では腐る可能性があることから石が用いられた。そして昔の面影を残すため表面は木で覆われた。
西本願寺は、大きなお堂に目を奪われがちだが、こういった細部にもさまざまな工夫が施されているので、参拝した際には是非こういったところまで注目してほしい。
御影堂への参拝を終え「阿弥陀堂」に足を運ぶ。
【西本願寺の阿弥陀堂】 国宝
御影堂から阿弥陀堂へつながる渡廊下も長い。
西本願寺は毎年多くの参拝者が訪れるため渡廊下の床板には傷みなどが目立つ。
長年の使用で生じた木材のすき間や割れてしまった部分には伝統修復技能のひとつ「埋め木」がほどこされ、魚やハート形など様々な形がある。この渡廊下を歩く際に是非探してみてほしい。
この埋め木は、渡廊下以外にも阿弥陀堂の柱などにも施されていた。
阿弥陀堂も奥行42m x 左右45m x 高さ25mととても大きな木造建築物となっている。
御影堂も阿弥陀堂も国宝だ。両堂ともに屋根が大きく瓦の数はどれだけなのかと思う。
阿弥陀堂は西本願寺の本堂であり、堂内中央には、阿弥陀如来像が安置されている。このことから阿弥陀堂と称されている。
また、阿弥陀如来像の左右にはインド・中国・日本の念仏の祖師七師と聖徳太子の影像が安置されている。
一般的には本堂を大きく作るのが普通であるが、西本願寺は親鸞聖人の廟所が起源になっていることから、親鸞聖人の御影が安置されている御影堂のほうが大きく作られていると考えられる。
「西本願寺」は通称で、正式には「龍谷山本願寺」という。
さて、以前の京都・豊國神社を紹介するブログで石山合戦について触れたが、この本願寺は石山合戦からつながっている。
信長に敗れた浄土真宗本願寺派11代宗主・顕如は石山を退去したが、息子の教如は石山をどかなかった。これにより本願寺派は、顕如派と教如派に分裂することになる。
信長の死後、秀吉から寺地の寄進を受けた顕如は現在の堀川六条で本願寺を再興する。顕如の死後は教如の弟の准如(じゅんにょ)が12代宗主として本願寺派を継承する。
一方、兄の教如は、家康と接触していた。浄土真宗本願寺派という一大宗教勢力は時の権力者と戦い、また庇護を受けるという権力構造の影響を受ける歴史だった。
この続きは東本願寺編にて。
阿弥陀堂を参拝後、境内をまわるとこに。
【本能寺ブックセンター】
安穏殿の本能寺ブックセンターには本能寺の教えが書かれた本が多数販売され、グッズも販売されていた。よくある書店の様な雰囲気。
阿弥陀堂門を裏から見たあと表からも見る。
【西本願寺の御朱印は注意!】
と、ここまでまわったところで、御朱印の受付所らしきものが見当たらない。もう一度、総合案内所に行ってみる。すると「西本願寺では御朱印は行っておりません」と。えっ!そんなことってあるの?!となりに記念スタンプが置いてある。
スタンプなの?!しかたがないので、御朱印帳にスタンプを3つ押す。
残念ながら、今回は御朱印の写真もご朱印帳の写真もありません。
なので、西本願寺に御朱印を頂く目的であれば目的を変え、訪れることをお勧めします。
引き続き境内をまわる。すると「唐門」が。
唐門は国宝となっている美しい門だ。
【西本願寺の唐門】 国宝
唐門は高さ8.7m・幅5.4mの門で桃山時代特有の豪華で色鮮やかな装飾が施してある見所がある門となっている。
孔雀(くじゃく)や獅子、麒麟(きりん)など100点余りの豪華な彫刻が門に施されており、彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれている。
間近で見ると納得の美しさだ。
また、唐門はかつては1年に1回儀式の為に開門されていたそうだが、1984年(昭和59年)以降は開門されなくなったとのこと。
西本願寺の担当者は「職人の卓越した技を見てほしい」と話している。
【外から見る西本願寺の大玄関】
外に出て、外から大玄関と唐門を見る。
【外から見る西本願寺の唐門】
実は、西本願寺には飛雲閣という国宝があるのだが、近づけない。
もう一度境内の中に入って、総合受付所で飛雲閣はどういったら見れるのか聞くと、飛雲閣は非公開とのこと。
【西本願寺の飛雲閣】
御影堂門から西本願寺を出て、総門を撮影し、東本願寺に向う。
【西本願寺の総門】
総門は「高麗門」と呼ばれる形式で、門扉の上に大きな屋根、左右の控柱(脇柱)の上に小さな屋根がある。また、京都の市中は度々、大火に見舞われたが、総門は建立時のまま伝わっているとされる。
西本願寺のアクセスと基本情報
【西本願寺の所在地】
〒600-8501
京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町
【西本願寺の電話番号】
【西本願寺の開門時間】
5時30分~17時00分
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