こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは東京都港区赤坂にある乃木坂の名前の由来となった神社「乃木神社」です。
乃木坂の名前の由来は、乃木神社のご祭神である乃木希典公にあります。
こちらの記事をご参考にしていただき、より「乃木神社」の参拝をお楽しみください。
今回も沢山の画像で乃木神社を紹介していますので、ぜひご覧ください。
目次
乃木希典とは
27歳のときに陸軍の連隊長として西南戦争に従軍し、政府軍に勝利をもたらす活躍をしている。1894年、44歳のときには日清戦争に従軍し、その後、台湾総督となっているが、その台湾総督時、支配側である日本の役人の綱紀粛正に努め、自ら範を示している。
日本の台湾統治は第二次世界大戦の終結まで約50年であったが、その間、交通、金融等の主要インフラを整備したことが、のちの台湾発展の基礎となっている。
日清戦争の10年後には日露戦争に従軍し、ロシア軍が「いかなる大敵がきても3年は持ちこたえる」と豪語していた旅順要塞をわずか半年で攻略した。ただ、本人にとっては、たくさんの部下の命を失ったことに対する自責の念が強く、帰国後、明治天皇に、自刃して償いたいと奏上したところ、朕が世を去った後にせよ、と述べられたそう。
その後は、明治天皇の命により、学習院の院長になり、のちの昭和天皇の養育にもあたられている。驚くべきはその最期だ。明治天皇が崩御され、その1か月半後の大喪の礼の日の朝に自邸で夫婦で自刃している。享年64歳。
乃木神社との関係
大正元年九月十三日、明治天皇の崩御に際し、ご祭神である乃木希典公・静子夫人が自刃を遂げられました。夫妻の忠誠心に感激した人々によって旧邸は保存され、夫妻の御霊がお祀りされました。
その後明治神宮創建の後、大正12年(1923)11月1日、乃木神社が鎮座しました。昭和20年の空襲により本殿以下社殿は焼失するも、昭和37年(1962)9月13日、ご祭神五十年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興されました。
令和5年には御鎮座百年を迎えました。
【ご祭神】
乃木希典命・乃木静子命
乃木希典公は日清・日露戦争で武勲をあげ、晩年には明治天皇の命により学習院長に就任、教育者としての実績も残しています。静子夫人は内助の功をもって尽くし、共に生涯を添い遂げました。
【ご利益】
忠誠・文武両道・夫婦和合
実際に乃木神社を訪れて
東京出張の合間に神社を2つ訪問した。
今回は、同世代を生きた二人の軍人を祀る神社に行くことに。まずは乃木希典公がご祭神の乃木神社に向かう。
【乃木神社の最寄り駅】
乃木神社の最寄り駅は、東京メトロ千代田線の乃木坂駅。1番出口を上がるとすぐ左に乃木神社の鳥居があった。
【乃木神社の一ノ鳥居】
乃木神社の一ノ鳥居は推定8m程の大きな鳥居でコンクリート造だろうか、とても綺麗な白色をしていた。扁額は青銅製のような色で「乃木神社」の文字が書かれていた。
【乃木神社の狛犬】
鳥居の手前にはドッシリとした狛犬が鎮座していた。
一礼をして一ノ鳥居をくぐる。するとすぐ正面には大きな「境内案内図」があった。
【乃木神社の境内案内図】
境内案内を見て驚いた。都心にあるにもかかわらず、広々とした境内となっている。
先に進むと「手水舎」がある。
【乃木神社の手水舎】
乃木神社の手水舎にはコンクリートが使用され近代的なデザインとなっていた。
また「洗心」と刻まれていた。
乃木希典公のことを思うと、ことさらこの「洗心」という言葉に重みを感じる。
さらに、この水は手水舎の裏にある「井戸水」を引いている。柄杓は置かれていたが「口はつけないように」との注意がされていた。
【乃木神社の洗心の井戸】
井戸の説明板には令和5年がご鎮座100年と書かれていた。水は冷たいがよく手を洗い「しっかりと手を清め」先に進む。
【乃木神社の二ノ鳥居】
二の鳥居の前に立つ。扁額はなくシンプルな鳥居だ。
この鳥居の前に立つと、身が引き締まる思いがする。自分に「気をつけ!礼!」とつぶやいていた。
二の鳥居をくぐるとすぐに「拝殿」がある
【乃木神社の拝殿】
重厚感がある立派な屋根がとても印象的な拝殿。桁行五間、梁間三間、切妻造平入銅板葺で、柱間装置を設けない開放的なつくりとなっている。
拝殿横には「狛犬」が鎮座していた。
【乃木神社の拝殿狛犬】
拝殿の正面に立つ。
ビジネス街の中にあって、ここだけ異空間な雰囲気だ。
静かだ。落ち着いた気持ちになる。
二拝二拍手一拝で参拝する。
参拝を終え、振り返るととても綺麗な「白梅」があった。
【乃木神社の拝殿手前の白梅】
白梅が満開となっていた。とても美しい。
白梅の見頃は例年2月中旬から下旬頃。タイミングが合う方は是非とも参拝していただきたい。
続いて
境内の摂社「正松神社」に参る。
【乃木神社の境内の摂社「正松神社」】
ご祭神:玉木文之進正命・吉田矩方松陰命
吉田松陰公も乃木希典公もともに長州藩士玉木文之進公を師としている。
玉木文之進公が興した私塾は松下村塾と名付けられ、吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋といった幕末から明治期の日本をリードする多くの人材を輩出している。
山縣有朋は陸軍でその存在は大きく、長州出身者が陸軍上層部を占めるようになる。乃木希典公も陸軍にその身を投じることになる。一方、海軍は薩摩閥だ。
【乃木神社の境内の「宝物殿」】
宝物殿があったので、入らせてもらう。
入館料は無料で開館時間は9時〜17時となっていた。
宝物殿は乃木希典公の資料館だ。
御鎮座九十年を記念して修復・奉納された御祭神の石膏像やご殉死の刀をはじめ、遺言の條々、勲章、漢詩などが展示され乃木希典公の生涯がわかる資料館となっていた。
乃木神社を訪れた際はこちらも是非。
宝物殿を出て次に向かうのは「赤坂王子稲荷神社」だ。
【乃木神社の境内の摂社「赤坂王子稲荷神社」】
ご祭神:宇迦之御魂神・宇気母智神・和久産巣日神
王子稲荷神社はたくさんの鳥居があり、乃木希典公・静子夫人が篤く崇敬していた神社。北区王子に鎮座されていた王子稲荷神社を、乃木神社の戦災復興を機に勧請した。
続いて「教育の碑」があった。
【乃木神社の境内の「教育の碑」】
右には
「明治天皇御製 教育 いさをある人を をしえの親にして おほしたてなむ やまとなでしこ」
と書かれていた。
明治四十年一月に御祭神乃木将軍が学習院院長に任命された頃に生徒心得の為に明治天皇より賜った御製とのこと。
最後に「旧乃木邸」を見ることに。
【乃木神社の境内の「旧乃木邸」】
旧乃木邸と馬小屋は、乃木夫妻の殉死後、遺言により東京市に寄付され、現在は港区の有形文化財に指定されている。
文化財保護の観点から、通常、邸内は非公開となっておりますが、旧乃木邸外観、馬小屋、庭園は公開しています。また、旧乃木邸は、外の見学路から内部が見える。
ちなみに邸宅の内は年に3回一般公開されるそうで公開時には、乃木家の貴重な遺品の展示も行われるとのこと。一般公開のスケジュールについて詳細は、WEBサイトのイベント情報をご確認ください
では、最後に目的でもある乃木神社の御朱印をいただきに。
乃木神社の御朱印
御朱印は拝殿に向かって右側にある祈願受付所(授与所)でいただくことができる。
御朱印は書置きのみとなっていて
志納金500円
【乃木神社の御朱印】
辰年だからか大きな龍が天に昇っている御朱印となっていた。デザインはイラストでとても可愛らしくその姿はまさに「昇り龍」。
昇り龍は運気を上昇させるという意味があるので、2024年の運気を上げられたい方は是非とも御朱印をいただきに訪れてみては?
拝殿向かって左手にあった花を見て、
「白い花がきれいですね」と言うと「白梅です。その左には紅梅も咲き始めていますよ」と。
ここで白い花が白梅ということを知る。
花が咲き始めていた紅梅も観る。まだまだ沢山ののつぼみがあったので、これからもっと華やかになるであろう。
以上が乃木神社の見どころと御朱印の紹介でした。
港区赤坂にありながらも境内に入ると落ち着いた雰囲気が気持ちまでも変えてくれます。
近くを訪れた際は是非ともお立ち寄りください。
乃木神社のアクセスと基本情報
【乃木神社の所在地】
〒107-0052
東京都港区赤坂8丁目11番27号
【乃木神社の電話番号】
【乃木神社の時間】
開門時間:午前6時-午後5時
授与所・祈願受付所:午前9時-午後5時
【乃木神社へ電車でのアクセス】
千代田線・乃木坂駅 1番出口より 15m
最後に乃木神社にぴったりの御朱印帳をご紹介
白梅、紅梅が見頃だったので「満開梅柄」の御朱印帳をご紹介します。
最後に
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