こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは「高知城」です。
山内一豊によって築かれた高知城は、江戸時代以前に建造された城郭で現在も残っている「現存十二天守」の一つ。四国八十八景にも選ばれ、春には花見スポットとしても有名です。今回は、高知城の「見どころ」や「御城印」をたくさんの画像にてご紹介しています。
さらに、高知で人気の観光スポットである「ひろめ市場」と「にこ淵」にも足を運んできたので、そちらの様子もリポートします。ぜひ最後までご覧ください。
高知城のアクセスと基本情報
【高知城の所在地】
〒780-0850 高知市丸ノ内一丁目2番1号
【高知城の電話番号】
088-824-5701
【高知城天守・懐徳館の開館時間】
9:00~17:00 (最終入館16:30まで)
※高知公園は時間に関係なく入園できます。
休館日 12月26日 ~ 翌年1月 1日
【高知城の入館料】
<天守・懐徳館・東多門・廊下門の入館料>
18歳以上 420円
<高知城天守・懐徳館・高知城歴史博物館の共通入場券>
常設展740円 企画展900円
【高知城へのアクセス】
車
高知自動車道 高知ICより約20分
高松~高知IC 約1時間40分
松山~高知IC 約1時間50分
徳島~高知IC 約2時間40分
岡山~高知IC 約2時間
バス
JR高知駅からとさでん交通「高知城前」下車 約10分
電車
JR高知駅からとさでん交通「はりまや橋」で乗換え(※乗換え券を貰って乗り換えてください)後、「高知城前」下車 約15分
徒歩
JR高知駅から約25分
【高知城の駐車場】
高知公園駐車場を利用 普通車65台
〒780-0850 高知市丸ノ内一丁目1番30号
TEL / FAX 088-872-4344
最初1時間まで370円、その後30分延長ごとに110円
高知城とは
高知城は日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭である。関ヶ原の戦いの功績で徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)から築城を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城した。しかし全容が完成したのは着手から10年後の慶長16年のことだった。
享保12年(1727)には追手門以外の城郭のほとんどを焼失。財政難もあって天守閣の復興には20年以上の歳月を要し、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のままに再建された。
その後は、明治維新による全国的な廃城の嵐を受け、高知城は本丸と追手門を除くすべての建物が取り壊しとなった。しかし、自然災害や太平洋戦争など幾度もの危機を乗り越え、平成15年(2003)には築城400年、再建から250年の節目を迎えた。長い歴史を持つ「南海の名城」である。
高知城と合わせて訪れたいスポット①【にこ淵】
お盆休みを利用して家族と一緒に高知へと向かった。旅の一番の目的は高知城でお城印をいただくことだが、せっかくの高知旅行ということで、高知城とともに人気の観光スポットとして知られる「にこ淵」と「ひろめ市場」にも足を運び、高知の自然と文化、地元料理を存分に満喫するスケジュールを立てた。
岡山から瀬戸大橋を渡り、高松自動車道を経由して川之江JCTから高知自動車道に入り、途中の大豊ICで降りる。国道439号から194号に入って愛媛県西条市方面に北上。しばらくすると右側に現れる「グリーンパークほどの」への分岐道に入り、道なりに5分ほど走れば「にこ淵」の看板と駐車場が見えてくる。
仁淀川の支流・枝川川にある「にこ淵」は、古くから地域に伝わる「水神の化身とされる大蛇が棲む所」という伝説から、地元住民も近づかないほどの場所だったそうだが、近年では美しく神秘的な「仁淀ブルー」に出合える観光スポットとして人気を集めている。
「にこ淵」の入口の前後にも駐車場はあるが、連休はいずれも満杯になっていることが多い。この日は少し手前の路側にある駐車スペース⑩に停めて歩くことに。
約15分ほどで「にこ淵」の看板が建てられている入口に着いた。ここから急な階段を下っていくことになる。
急な階段を一歩一歩下りていくと…見えてきた! きれいな水面だ! 一番下まで下りると、狭い岩場にたくさんの観光客が訪れていた。
落差約10mの滝が流れる滝つぼの深さは約7mで、底の岩が見えるほどの透明度である。太陽の光が差し込む時間や光の角度といったさまざまな条件によって水の色が変化し、滝の周りが仁淀ブルーの幻想的な青の世界に包まれる。
エメラルドグリーンと呼ぶのが正しいのかもしれないが、透き通った水が陽光を受けて青色に輝いている。とても神秘的な滝つぼだ。
この幻想的な景色は、ずっと見ていても飽きない。美しい。
四国山地の雄大な自然が生み出す感動的な景色をしっかりと目に焼き付け、高知市内へと向かった。
《にこ淵の基本情報》
【にこ淵の所在地】
高知県吾川郡いの町清水上分2976-11
※ナビを使用する場合は目的地を「グリーン・パークほどの」に設定するのがおすすめ。目的地から5km手前に「にこ淵」があります
【にこ淵までのアクセス】
車の場合
高知自動車道 大豊ICもしくは伊野ICから約60分
公共交通機関を使う場合
JR伊野駅→とさでん交通バス「長沢」or「土居」行き乗車→「程野入口」or「土居」で下車
→「グリーンパークほどの」方向へ徒歩 所要時間約70分
高知城と合わせて訪れたいスポット②【ひろめ市場】
お城へ向かう前に腹ごしらえ。「にこ淵」から国道33号経由で約1時間で到着。今回の旅の行き先としてぜひ訪れたいと思っていた「ひろめ市場」に向かう。駐車場の心配をしたが、3台待ち程度でひろめ市場の上の駐車場に停めることができた。
ひろめ市場は高知公園の駐車場から東に徒歩約3分。帯屋町アーケードの一角にあり、高知の郷土料理をはじめ、和洋中のさまざまな飲食店のほか、鮮魚店、精肉店、土産物店、雑貨店など、約60の個性的な店舗がびっしりと軒を連ねている。屋台のような雰囲気で郷土料理が味わえる「高知の台所」だ。
訪れたのが昼過ぎにもかかわらず、市場の中はたくさんの人たちでにぎわっていた。
まずは席を確保する。建物の各所にテーブルが置かれており、各自が好きな店で購入した料理やドリンクを持ち寄り、にぎやかに食べるフードコートのようなスタイルになっている。アットホームな雰囲気で、たまたま隣り合わせた初対面の人たちと愉快な時間を過ごせるのも「ひろめ市場」の大きな魅力だ。
前もって高知に十数年住んでいた友人から「ひろめ市場でカツオのタタキを食べるなら『やいろ亭』のシオタタキだ」と聞いていた。お目当ての「やいろ亭」の前に「うちのタタキは高知で一番おいしい」と書かれた張り紙が誇らしげに掲げられていた。
「やいろ亭」の前にできていた列に並ぼうとすると、店員さんに「整理券をとってください。番号がアナウンスされたら並んでください」と促され、整理券をとって呼び出しを待つ。「71~80」の札。
家族が他の店で買ってきた料理を食べながら順番を待っていると、しばらくして呼び出しがかかったので店の前に並ぶ。
お目当ての「シオタタキ」は6切れ(1,560円)か10切れ(2,600円)の2択で悩んだものの、ほとんど私が食べることになるので6切れの方をセレクト。
ひと切れが太い!カツオにかけるタレは無く、生ニンニクとわさびが添えられている。
プリプリとしたカツオをニンニクといっしょに口の中へ運ぶ。ニンニクがピリピリときて実に美味い!思わず日本酒を飲みたくなったが、ここは我慢。あっという間にたいらげてしまった。
さすが本場のカツオのタタキはとても美味かった。
《ひろめ市場の基本情報》
【ひろめ市場の所在地】
高知県高知市帯屋町2丁目3−1
【ひろめ市場の電話番号】
【ひろめ市場の営業情報】
<営業時間>
【月~土】10時~23時 【日】9時~23時
<休業日>
1月1日、1・6・10月に年6日程度(公式HPにて確認)
【ひろめ市場へのアクセス】
・高知城より徒歩3分
・高知空港より車で30分
・高知自動車道 高知ICより車で15分
・JR高知駅より車で5分
・路面電車「大橋通」で下車し徒歩2分
【ひろめ市場の駐車場】
ひろめ市場の2階・3階が180台分の駐車場となっている。
駐車料金は30分ごとに200円、18時〜翌朝8時までは最大料金300円
ひろめ市場の情報はこちらからご覧ください。
高知城の見どころ
「ひろめ市場」で高知の料理を存分に堪能した後、いよいよ今回の旅の最大の目的である「高知城」へ。ひろめ市場からは歩いてすぐだ。
まずは案内板で位置関係を確かめ、お城の入口へと歩いていく。南国高知の灼熱の日差しが容赦なく降り注ぎ、歩き始めて間もないのにもかかわらず背中や額に汗がにじむ。
【山内一豊公之像】
私たちを最初に迎えてくれたのは「山内一豊像」だ。思い出すのが、NHK大河ドラマの「功名が辻」。調べてみると2006年に放送されているので今からもう18年前にもなる。主演は上川隆也さんと仲間由紀恵さん。夫婦を主役にするドラマは「功名が辻」からさらに4年前の「利家とまつ」を彷彿させるものだった。
一豊は尾張出身で、信長に仕え、また秀吉の配下であった。ドラマではまだ若かった秀吉と友人のような関係にあった印象がある。一豊は信長、秀吉に仕え、転機はやはり関ケ原の戦いだ。三成との折り合いが悪く、北政所に可愛がられた一豊は東軍につく。このあたりはドラマでは、時代の“流れ”を読むことに長けた妻・千代の機転の利いた手紙が一豊を“勝ち筋”に導く。
そんな一豊の銅像は、平成8年(1996年)に再建されたもので、高さ4.32メートル、重さ3.6トン、台座5.08メートル、総高9.4メートルもある立派なものだ。騎馬像としては国内最大クラスのスケールだという。私のような無類の歴史・大河ドラマ好きの方なら必ず立ち寄りたいスポットだ。
威風堂々たる一豊像をしばし眺めた後、西へ70mほど進むと立派な「追手門」が見えてきた。
【追手門】
高知城の表門となる「追手門」は1801年に建造され、国の重要文化財にも指定されている。石垣の上に渡櫓をのせた櫓門で、敵からの攻撃を防ぐための要素として門の上が2重の屋根になっており、城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えを持つ。門前は枡形になっており、防御時には石垣上の狭間堀や門上から攻撃できるようになっている。
石垣を積み上げて櫓を載せた櫓門の2階には「石落とし」もあり、敵の真上から石を落としたり槍を突くことができるようになっている。
【板垣退助像】
どっしりとした佇まいの追手門をくぐり、石段を上がる手前に「板垣退助像」があった。「自由民権運動の父」としても知られる板垣退助も高知出身。暴漢に襲われた際に彼が発したとされる「板垣死すとも、自由は死せず」という名言はあまりにも有名だ。
昭和31年(1956年)に再建されたもので、題字は当時の内閣総理大臣・吉田茂の書。像の高さは2.2m、台座4.2m、全高6.4mもあり、こちらの銅像もなかなか立派なものだ。
板垣像を横目に、天守へと続く石段を上り始める。なかなかの急勾配であることや強烈に降り注ぐ真夏の日差しで、足取りが重く息も上がる。
石段の途中には一豊の妻・千代の像があった。大河ドラマ「功名が辻」の中でも、仲間由紀恵さん演じる千代は貧しいながらも一豊の出世を助ける存在として描かれた。
天守がいよいよ間近に見えてきた。桝形の巨大で美しい石垣を眺めながら石段を上がる。
【鉄門跡】
三の丸虎口である「鉄門跡」と呼ばれる石垣。かつてこの場所には左右の高い石垣をまたいで入母屋造り二階建ての門が設けられていたという。ここを入ると二の丸から本丸に通じる重要な位置にあるため、石垣は整然と築かれていて、門の扉には多くの鉄板が全体に打ち付けられていたことから「鉄門」と名付けられていたそうだ。
【本丸】
いよいよ本丸に到着。天守の手前にある建物は「懐徳館(本丸御殿)」で、天守と本丸御殿の両方が現存しているのは、国内の現存十二天守の中でもここ高知城だけであり、特に歴史的価値が高い。
別名「鷹城」とも呼ばれる高知城の天守。真っ青な青空に映えるその姿は非常に美しい。決して巨大な天守であるとは言えないが、その佇まいには気品と荘厳さを感じる。シャチホコを冠し棟を大きくのばした入母屋の屋根は、長年風雨にさらされ年季の入った瓦が独特な風格を漂わせている。
説明書きを読むと「本丸の全ての建造物が完全な形で残されているのは、全国12の城郭のなかでも高知城だけ」とある。それだけこの高知城の天守は非常に貴重なものなのだ。1601年の創建だが、火災により1749年に創建当時の姿のまま再建されたのだという。
土佐藩主の初代は山内一豊であり、そこから第16代の豊範まで続くのだが、一豊以降歴史に登場するのは第15代の山内容堂(退位後 容堂)だ。容堂は幕末、福井藩主の松平慶永、宇和島藩主の伊達宗城、薩摩藩主の島津斉彬とともに四賢侯と呼ばれ、配下の板垣退助・谷干城は、薩摩の西郷と武力討幕を目指す薩土密約をし、その後、土佐出身の坂本竜馬・土佐藩士 後藤象二郎と薩摩の西郷・大久保との大政奉還を目指した薩土盟約につながっていく。維新後の明治政府では、土佐藩からは谷干城、後藤象二郎、板垣退助らが歴代内閣の大臣を勤めている。
明治維新後、明治政府による廃城令で全国各地に点在する数多くの城郭が取り壊されたにもかかわらず、この高知城の天守本丸と追手門が残されたのは、先に述べたような高知(土佐国)と明治政府との関係性が一因しているのではないかと想像してしまう。
天守・懐徳館への入場料は18歳以上が420円。18歳未満は無料で子ども連れの家族にやさしい。
【懐徳館(本丸御殿)】
懐徳館(本丸御殿)は、城主が来客対応する場所として利用されていた建物。美しい装飾が施され、江戸時代の武士文化や建築様式を随所に反映させており、当時の建築文化や美意識を今に伝える貴重な建物だ。
館内には、太平洋の荒波を模った彫刻の欄間をはじめとする独自の工夫が随所にみられ、徳川時代初期の大名の居住様式を垣間見ることができる。また、歴史に関する資料や、山内家や土佐の偉人ゆかりの品なども展示されており、知識を深めることも可能だ。館内の撮影はOK。
懐徳館からは天守に直接通じる廊下が渡してあり、来客時に藩主がもてなす座敷として使用されていれたそうだ。
【天守】
懐徳館を廊下伝いに進むと、いよいよ本丸の内部へ。
天守は6階建ての構造になっている。
天守の内部でもさまざまな展示が行われている。山内家の家紋は「三つ柏」。この家紋が、高知出身の岩崎弥太郎が興す三菱のロゴにつながっているとは驚きだ。確かにそっくりだ。
大河ドラマ「功名が辻」にまつわる展示物もあった。
千代は若い頃は縫い合わせをした貧しい着物を着ていたが、一豊が土佐藩主になったときには豪華な着物の衣装を着ていたという。大河ドラマ「功名が辻」の中で、千代役の仲間由紀恵さんが実際に着用した着物も飾られていた。
1階でひときわ存在感を放っていたのが、当時の高知城城郭と町の人たちの様子を模したジオラマ。
中央にある小さな階段で上る。これがかなり段差が高く急なので、慎重に上らなければならない。
各階はそんなに広くない。2階から4階までは当時の「一領具足」とよばれた屯田兵の様子や、一豊入国時の「浦戸合戦」の様子、歴代城主などに関する展示が続く。5階には日本の有名な城郭の案内が飾られていた。そして最上階となる6階に辿り着いた。
天守からは、高知市の街並みを360°眺めることが可能で、まるで城主になったかのような気分に浸ることができる。
天守北からの眺望。
天守東からの眺望
天守南からの眺望。
爽やかな風が吹き抜けて気持ちがいい。
下からも見たシャチホコが間近に見える。やはり迫力がある。
眼下の桝形の石垣も美しい。
初代藩主・山内一豊と、幕末の歴史を動かした土佐藩士に思いを馳せた今回の高知城訪問であった。
高知城の御城印
高知城の御城印は、高知城入口の入場券売所でいただくことができる。料金は300円。
先にも少し述べたが「鷹城」とは高知城の別名で、瓦や壁の色が鷹の羽に似ていることが由来しているのだという。
最後に高知城にぴったりの御城印帳をご紹介
今回ご紹介した高知への旅レポートはいかがだったでしょうか。最後に、高知出身で「三菱グループ」の創業者である岩崎弥太郎が、山内家の家紋「三つ柏」にインスパイアされて「三菱」のロゴを定めたことにちなみ、今回は「菱」つながりで「丸に花菱」柄の御城印帳をご紹介します。
表紙には日本製の上質な二越ちりめん(布)を贅沢に使用。熟練した職人が1冊1冊手作りした上質な逸品です。
PPポケットは12枚で、100mm×150mm程度の一般的なサイズの御城印を収納できます。裏面はスタンプ帳・御朱印帳など自由に使用することも可能です。
※画像の布と同じ生地を使用しておりますが、布の取り都合により1点づつ柄の位置は異なります。
さらに!さらに!!
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