こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは愛知県名古屋市にある日本三名城の一つで、徳川家康が築いた「名古屋城」です。
これから実際に行ってみようという方は必見です!ぜひとも参考にしていただき、名古屋城への訪問をお楽しみいただければと思います!
ぜひ最後までご覧ください!
名古屋城のアクセスと基本情報
【名古屋城の所在地】
〒910-0231 愛知県名古屋市中区本丸1番1号
【名古屋城の電話番号】
052-231-1700
【名古屋城の開館時間】
午前9時~午後4時30分
(本丸御殿・西の丸御蔵城宝館へのご入場は午後4時まで)
【名古屋城の観覧料】
大人:500円 小・中学生:無料
名古屋市内高齢者:100円(※)
※名古屋市内在住の65歳以上の方。住所、年齢及び本人であることを確認できる写真付書類(名古屋市発行敬老手帳、運転免許証、パスポート等)の持参が必要。
【名古屋城のアクセス】
車をご利用
・名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
・名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分
地下鉄をご利用
・名城線 「名古屋城」 下車 7番出口より徒歩 5分
市バスをご利用
・栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」
・基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分
・なごや観光ルートバス「メーグル」
【名古屋城の駐車場】
・正門前駐車場(普通車・大型車・自動二輪車・原付)
・二之丸東駐車場(普通車)
名古屋城とは
名古屋城は、愛知県名古屋市にある日本三名城の一つで、徳川家康が1610年に築城を命じました。家康は、西国大名20家に普請を命じ、加藤清正や福島正則といった有力な武将たちが築城を担当しました。名古屋城は、江戸幕府を支えた「御三家」の筆頭、尾張徳川家の居城として、260年にわたって重要な役割を果たしてきました。
名古屋城は、戦国時代の城と比べると、形がシンプルに見えます。しかし、実はさまざまな工夫が施され、敵が簡単には攻め込めないような仕組みになっています。
そして、名古屋城の天守閣といえば、輝く「金の鯱(しゃちほこ)」。その金の純度は80パーセントもあり、小判に換算すると17,975両という価値があったといわれています。今のお金にすると、一体どれくらいになるのでしょうか…。間違いなく億を余裕で超える金額ですね!
しかし、藩の財政が厳しくなると、金鯱の金を一部鋳直し、純度の低い金に取り換えられたといわれています。明治時代までに3回も改鋳が行われ、そのたびに金鯱の純度が下がり、形状も少しずつ痩せ細っていったそうです。金鯱の輝きには、名古屋城を守るだけでなく、時代の変化や藩の苦労が刻まれているのかもしれませんね。
そんな名古屋城ですが、天守閣も金鯱も1945年の戦災で焼失してしまいます。現在見られる天守閣は、1959年に再建されたものです。
名古屋城の見どころ
今回のルートはこちら!
なんだかんだと、2時間半ほど掛けて場内を一周した。
名古屋城駅
名古屋城の最寄り駅である、名古屋市営地下鉄の「名古屋城駅」。
一歩外へ出てみると、地下鉄の入り口も名古屋城仕様になっていることに驚く。
城に辿り着く前から、城巡りへの情緒を掻き立てられ、俄然楽しみになってくる。
名古屋城 金シャチ横丁(宗春ゾーン)
グルメ店が軒を連ねる「金シャチ横丁」。
中でも、この「宗春ゾーン」は、「新風、変化」というコピーが付いているように、新進気鋭の食文化を楽しめる店が集まっているようだ。
正門側にあるという「義直ゾーン」は、帰りに寄りたいと思う。
名古屋城 東門へ
金シャチ横丁を抜け、左折する。
この日は快晴に恵まれ、名古屋城の東門へ向かう道中も気持ち良く晴れていた。
東門へ着く前から、堀だった場所から立派な石垣が見えていた。
きれいに積み上げられた、比較的粒の揃った石たちを見ると、かなりの労力や資材が投入されて造り上げられたのか、想像せずにはいられない。
名古屋城 東門
東門に到着。
ここで入場券を購入して、いざ入城だ。
名古屋城 二の丸エリア
入城してまずはじめに目に入ってくるのは、名勝「二之丸庭園」。
東庭園
同じエリアに、名勝「二之丸東庭園」も。
ここは、江戸時代の文政年間に整備された、回遊式庭園。築山や茶屋が点在しており、かつては広大な敷地があったらしい。
明治時代の戦争期に、美しい庭園の姿は失われてしまったようだが、昭和になると発掘調査によって発見された遺構を中心に整備が進められ、現在のような形に復元・公開された。
現在も近世の庭の美しさを復元すべく、整備が進められている。当時の城主たちが愛した美しい庭が完成された暁には、再び訪れたいものである。
南池
昭和の発掘調査で発見された池の遺構から、かつてはかなり大きく深い池であったことが推測されている「南池」。
庭園の東南部を占める広さを生かし、池に舟を浮かべて庭園の美しさを楽しんでいたようだ。
北園地
池底までの深さは、なんと約3m30cmにも及ぶという「北園池」。
江戸時代の地形がほぼそのままの形で残されているという、地理的にも価値のある池だ。先ほどの庭園とは様子が異なり、石組みがなんとも力強い印象を与えている。
二の丸茶亭
美しい「二之丸庭園」を眺めながら、お抹茶やモーニングが楽しめる茶庭。
毎朝数量限定で提供されている「金シャチモーニング」は、名古屋の喫茶店文化を代表する「小倉トースト」に金粉があしらわれており、大人気なんだそうだ。
那古野城跡
現在の「名古屋城」とは表記の異なる「那古野城」があったという城跡。
今川氏が築いた城で、「柳之丸」とも言われていたそうだ。
織田信秀、織田信長、織田信光と居城していたそうだが、やがて廃城となってしまったという。
名古屋城 東南隅櫓
二の丸エリアを後にし、名古屋城へ向かう。
重要文化財である「東南隅櫓(とうなんすみやぐら)」が右手に見えてくる。方角から「辰巳櫓」とも呼ばれている。
内部は非公開だが、かつては武具が納められていたという。敵に攻め入られた際には出窓から石を落として攻撃ができる「石落し」も設けられており、護衛の要として造られていたようだ。
名古屋城 表二之門
さらに進むと、表二之門が。
本丸の南側に位置する「二之門」は、名古屋城創建時から現在まで残る数少ない建造物の一つ。
門の左右の袖塀は土塀になっているのだが、全国的にもこの造りの門は珍しいのだとか。
門柱や門の木々は鉄板張りとなっており、万が一火を放たれても燃え広がらないという堅牢ぶりだ。
名古屋城 表一之門跡
表二之門をくぐり進むと、本丸表一之門跡が見えてくる。
昭和の空襲で焼失してしまったという「本丸表一之門」。
しかし、当時は防御力だけでなく、敵襲を矢で攻撃できる構造を取っていたり、隙間なく建築されていた櫓の一つであったことから、こちらも城を守るために重要な施設であったことがうかがい知れる。
名古屋城 本丸御殿
石垣の立派さに驚きながら、奥へ足を進めると、立派な車寄せが現れた。
車寄せ
「車寄せ」とは、将軍などの高貴な正規の来客だけが上がることができる、本丸御殿への正式な入り口のこと。
来客が乗って来た牛車などを建物に寄せて乗り降りするため、建物の入り口から屋根が張り出した構造になっている。
我々一般の来場者は、そんな車寄せを眺めながら右手奥の本丸御殿の入口へと進む……。
中は無料で見学ができる。人数制限しているようで、しばし並んで待つ。
中では、写真は撮れるが、フラッシュはNGとのこと。
中に置かれていたパンフレットをとって見る。なかなかの広さだ。
玄関
18帖の一之間と28帖の二之間からなる、本丸御殿の「玄関」。
一之間には、重要文化財障壁画である「竹林豹虎図」が部屋の四周に飾られている。
初めに通される部屋で、四方から虎に睨まれるという経験もなかなかないだろう。
当時の「城を訪れる」という行為が持つ、武将同士の緊張感が今に伝わってくるようだ。
表書院
謁見に用いられたという、本丸御殿内で最も広い空間が、この「表書院」。
15帖の上段之間、24帖半の一之間、同じく24帖半の二之間、39帖の三之間、24帖の納戸之間という5部屋から構成されている。
上段之間には、尾張藩の初代藩主である徳川義直が着座した部屋として、床の間や違棚、付書院などの正式な座敷飾りが揃っている。
どこを見ても金色というあまりの豪奢さは、一見の価値ありだ。
対面所
藩主が、身内や家臣との私的な対面をする際に使用していたという「対面所」。
18帖の上段之間と次之間、24帖の納戸一之間と納戸二之間の4部屋から構成されている。
上段之間と次之間には、京都や和歌山の四季の風物詩や名所が描かれている障壁画「風俗図」が描かれており、穏やかながらにぎやかな雰囲気を醸している。
鷺之廊下
対面所と上洛殿をつなぐ廊下には、真っ白な鷺と柳の木が描かれており、「鷺之廊下」と呼ばれている。
寛永11年に、上洛殿と時を同じくして増築されたという。
金箔の上に、一点の曇りのない鷺がまるで浮かび上がるように描かれている。
上洛殿
本丸御殿で最も絢爛豪華な部屋であり、将軍が訪れた際に使用され、江戸時代には「御成書院」と呼ばれていた。
先ほどの「鷺之廊下」が増築された寛永11年は、三代将軍である徳川家光が都へ上洛。それに併せて、宿泊場所として増築がなされたようだ。
15帖の上段之間、18帖の一之間、22帖の二之間、21帖の三之間、20帖の松之間、10帖の納戸之間の6部屋で構成された、本丸御殿の中で最も格式の高い建物。
天井には板絵、彫刻欄間、襖や壁には狩野探幽による障壁画「帝鑑図」、「雪中梅竹鳥図」が描かれている、なんとも豪華な造りとなっている。
梅之間
上級家臣が控えとして使用していた部屋である「梅之間」。
金箔の上に白く描かれた梅の木が、上品な美しさを見せている。
上御膳所
「上御台所」で調理されて運ばれてきた料理を、長囲炉裏で温め直し、盛り付けして将軍の元へ運んでいたという「上御膳所」。
今までの部屋とは異なり、装飾は最低限にとどめられ、清潔に保たれた空間という印象だ。
下御膳所
料理の配膳や温め直しを行っていたという「下御膳所」。
天井には、温め直しで使用する長囲炉裏から出る煙を排出する「煙出し」が設えられている。
名古屋城
本丸御殿を出て、奥へと歩き進む。すると、名古屋城の天守閣が堂々と佇んでいるのが目に飛び込んでくる。
現在は閉館中ということなので、ここから天守閣の周りをぐるりと見てみようと思う。
名古屋城 大天守
「名古屋城と言えば!」という有名すぎるビジュアルに、思わず感嘆の声が漏れる。
名古屋城は、昭和5年に城郭建築において初めて国宝に指定。しかし、その後の昭和20年の名古屋空襲によって、本丸のほとんどが焼失してしまうという悲劇的な歴史も持ち合わせている。
「昭和実測図」に基づき、昭和39年に再建。現在は、耐震性の向上を図りつつ、鉄筋コンクリート造から木造への復元を進めるために閉館中とのことだ。
名古屋城 小天守
名古屋城は、天守と小天守が渡櫓(わたりやぐら)で繋がれた「連結式」の構造を採用。天守へ入るためには小天守を通過しなければならない構造になっているそうだ。
こちらも、名古屋空襲で焼失した後鉄筋コンクリートで復元された「小天守」。
在りし日の木造建築への復元を試みるため、現在閉館中だ。
名古屋城 本丸御殿 ミュージアムショップ
復元された本丸御殿のオリジナルグッズや、名古屋の土産などが販売されている店舗が天守閣の前にある。
中でも目を引くのが……「金箔御守」「天守金鯱印」「本丸御殿印」だ。
どれも本物の金箔を使用しているということで、その輝きは本物。
お値段は、それぞれ「金箔御守」が2,800円、「天守金鯱印」が12,000円、「本丸御殿印」が18,000円。
これは一生持っておいても良い土産物になるだろう。(買う勇気はなかったが…)
お土産も買ったので、城の北側に行ってみよう。
工事中ということもあり、フェンスに囲まれた道を行く。
城の北側に出る。また違った雰囲気だ。
名古屋城 旧国宝天守の礎石
堀に沿って、東へ歩き進むと、右手に焼失してしまった旧国宝の天守閣の礎石たち。
焼け跡として残っていたものを、再建の折に現在の場所に移設し、当時の敷設状況を再現したのだという。
この礎石たちが、あの大きな天守閣を支えていたのかと思うと、その頑強さや安定感に思わず感謝の念がこみ上げてくる。
石棺式石室
旧国宝天守の礎石の奥にある石室。なんだなんだと思い、近づいて見る。
古墳などでよく見る、石棺式石室。
これは古墳時代後期の「横穴式石室」だそうで、出雲地方に独特のスタイルだという。
元々は島根県松江市の古墳にあった石室らしいが、名古屋の豪商がそれを買い取ったのだそうで、そののちに名古屋市へ寄贈されたという、変わった経緯の持ち主だ。
名古屋城 天守の石垣
城の北から南へ向かって見た石垣。美しい!!
反りが美しい名古屋城の石垣は、上部が外側に反り出す「扇勾配」。
美しいだけでなく、石の重みや圧力が分散されるために石垣が膨らみにくく、強靭さも兼ねているらしい。
名古屋城 西北隅櫓
「御深井丸」エリアにある「西北隅櫓(にしほくすみやぐら)」。
「戍亥櫓」とも呼ばれ、重要文化財に指定されており、屋根三層、内部も三層という、国内でも最大規模の隅櫓となっている。
「東南隅櫓」と同じく「石落し」が備えられている櫓で、他の建物の古材を転用して建築されている可能性が高いとされている。
乃木倉庫
国登録の有形文化財に指定されている「乃木倉庫」。
明治初期の陸軍の弾薬庫として建設された、レンガ造りの倉庫。
内部は非公開だが昭和の名古屋空襲時には倉庫の防火性を活かし、倉庫内に本丸御殿の障壁画などを避難させたことで、戦火から逃れたのだという。
名古屋城 西面
天守の西面を眺めるビュースポット。頂上には、かの金の鯱も!
剣塀
大天守と小天守を結ぶ櫓台を、高い土塀で囲んでいる「剣塀」。
塀の軒に、びっしりと槍の穂先が並べられいることが名前の由来とのこと。
塀をよじ登ってくる敵を討って迎えるという猛々しさを感じられる。
鵜の首
堀を城内に入れ込み、道幅をぐっと狭めた部分である「鵜の首」。
名古屋城には4か所の「鵜の首」が設けられており、堀からの敵の侵入を防ぐ機能を担っていたとされている。
名古屋城 西南隅櫓
「東南隅櫓」や「西北隅櫓」と同じく、国の重要文化財である「西南隅櫓」。
他の櫓には1ヵ所しかなかった「石落し」が、この櫓には西と南の二方向に設けられている。
大正時代に災害で倒壊してしまったが、宮内省によって修復。鬼瓦などには、その歴史を残すように菊の御紋が刻まれている。
名古屋城 総合案内所
西之丸へ出てくると、名古屋城の総合案内所が見えてくる。
名古屋城の見どころや最新情報、市内観光施設などの観光情報を案内してくれる。
コインロッカーに入らない荷物はここで荷物1個につき300円で預かってくれるようだ。コインロッカーは、正門・東門にある。
名古屋城の見どころなどの情報を先に知りたい方は、正門から入場するとすぐに総合案内所にアクセスできて便利だ。
名古屋城 正門
名古屋城の正門は、明治時代に江戸城に移築されたものの、空襲で焼失。天守と共に、名古屋城に当時の姿で再建された。
明治維新後の「離宮」として使われていた名古屋城は、「準皇居」という扱いだったため、こちらが正門とされているそうだ。
名古屋城 金シャチ横丁(義直ゾーン)
正門から出て、南へ進むと金シャチ横丁(義直ゾーン)へたどり着く。
行きで訪れた「宗春ゾーン」とは反対に、「義直ゾーン」は「伝統、正統」というコピーが付けられており、定番だったり老舗の「なごやめし」が楽しめる店が集まっていた。
家康梅
「義直ゾーン」には、梅をこよなく愛していた徳川家康が、水戸藩の初代藩主となる頼房の誕生を祝い、植樹したと言われている梅の木が。
家康の9男にあたる義直の名前を冠したこのゾーンに、植えられることになったそうだ。
名古屋城 二之丸大手二之門
金シャチ横丁(義直ゾーン)を抜け、さらにまっすぐ進む。
国の重要文化財に指定されている「二之丸大手二之門」。
今はなき一之門と共に、二之丸正門を形成していた門で、「桝形御門」と呼ばれる構造になっている。切妻屋根の本瓦葺で、「高麗門」の形式を汲んでいる。
二之丸大手二之門をくぐり、まっすぐ歩くと、最初の東門へとたどり着く。
個人的な感想になるが、石垣の美しさや本丸御殿、金鯱など、贅を尽くした名古屋城は、近世城郭の到達点として高く評価されている理由がよくわかった。
日本三名城の名にふさわしい、素晴らしいお城だった!!
名古屋城の御城印
印刷ながら、葵の御紋の朱色が映える。
御城印はここで買える!
御城印は、正門前の売店と、天守閣前のお土産屋さんの2か所で買えます。
通常の御城印は1枚:300円
期間限定の御城印は1枚:500円
最後に名古屋城にぴったりの御城印帳をご紹介
今回のお城探訪レポートはいかがだったでしょうか。
名古屋城にぴったりな御城印帳としておすすめしたいのが、家紋を散りばめたデザインが独創的なポケット式の御城印帳です!
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