こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
前回は日本三大名城のひとつ「大阪城」をご紹介しましたが、
今回は大阪城の敷地内にあり、豊臣秀吉公と縁のある「豊國(ほうこく)神社」をご紹介します。
これから大阪城に行かれる方は是非とも参考にしていただき、大阪城巡りをお楽しみください。
目次
豊國神社とは
明治元年、明治天皇が大阪に行幸になった際、日本国へ特別な功労・功績がある豊臣秀吉を大阪の清浄な地へお祀りするように命ぜられた。明治6年に京都・豊国神社が本社として社殿を造営、大阪には別社として現在の中之島/中央公会堂の地点に、明治13年に創立された。秀吉ゆかりの大阪城は当時陸軍の所管であったため神社を建てることはできなかった。
大正元年、中央公会堂建設のため府立図書館の西方の公園内に移転し、大正10年に別社から独立して府社に列せられた。その際、京都の豊国神社が「とよくに」であるのに対し、大阪は「ほうこく」に読みを改めている。
昭和20年、終戦と共に社格が廃止されたため、宗教法人となり神社本庁所属の神社となる。昭和31年に大阪市より神社移転の要望があり、御祭神に縁のある大阪城内を移転地と決定し、昭和36年1月大阪市北区中之島より現在の地へ奉還された。
ご祭神:豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長
実際に豊國神社を訪れて
大阪城の天守閣を拝観後、桜門を出ると正面に豊國神社の鳥居があった。
豊國神社は大阪城二の丸南側に鎮座する神社で、「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を奉祀しています。
【豊國神社 表鳥居】
表鳥居は明治40年に建てられたコンクリート製の鳥居だ。
一礼をして表鳥居をくぐると、左には「手水舎」があった。
【豊國神社 手水舎】
立派な屋根が特徴の手水舎で、柄杓がなく、手を近付けると水が出てくる人感センサータイプになっている。
心と手を清め先に進む。
するとすぐ正面に大きな銅像が見える。
【豊國神社 豊臣秀吉公銅像】
豊臣秀吉だ。
銅像を眺めていると、観光ガイドさんの説明する声が聞こえた。
この像は秀吉の小田原征伐時の出で立ちをモデルにしたそう。つまり天下統一が成ったときの姿ということだ。
調べると、この像は3.2mで台座の高さは2mだそう。戦時中は金物類回収令によって供出されたものの、平成19年に人々の熱い要望のもと再び建立された。
太閤さんこと秀吉公がいかに大阪の人々に慕われているかが伺えるエピソードだ。
そして、豊臣秀吉の銅像すぐ先にまた「鳥居」がある。
【豊國神社 鳥居】
表鳥居と同じコンクリート製の鳥居と思われるが、鳥居の「柱」に注目すると、表鳥居は円柱に対して角柱となっていた。また、柱には明治38年に建てられたと書かれていたのでこちらの鳥居の方が古いようだ。
一礼して二の鳥居をくぐる。
鳥居の右手には御朱印の受付所がある。
この日も多くの方が御朱印をいただいていた。
豊國神社は足軽から天下統一というとてつもない出世を果たした豊臣秀吉を祀っているということもあり、仕事運、出世、就職、転職のご利益がある神様として人気の神社となっている。
きっと、そのご利益にあずかりたく御朱印をいただいているのではないだろうか。
いただいた御朱印の紹介は最後にするとして、参道を少し歩くと本殿・拝殿が見える。
【豊國神社 本殿・拝殿】
コンクリートで造られ、大きな入母屋破風と千鳥破風が特徴の拝殿となっていた。また、屋根の破風てっぺんにをよく見ると豊臣家の紋章「五三の桐」がある。
手前に鎮座する狛犬は、
【豊國神社 狛犬】
青銅製でよく見かける形となっていた。
正面の拝殿で二拝二拍手一拝で参拝する。
この神社は、出世開運のご利益の神社だ。
【豊國神社 笹の小径】
境内の左に「笹の小径」という看板があった。歩いてみる。
笹の小径の中に神社はない。短い距離だが、降り注いでくる笹の葉が気持ちいい。
摂社をまわることに。
【豊國神社摂社 若永神社】
ご祭神:宇迦之魂神
豊臣秀吉公の御用商人であった豪商「淀屋」の屋敷内に火難除けの御守護神として祀られた稲荷神社。
大阪市の都市計画に伴う地下鉄御堂筋線工事のため、昭和2年に大阪市庁社東の豊國神社境内に遷座され、その後昭和36年1月に豊國神社が大阪城内に遷宮の際、現在地に遷座された。
【豊國神社摂社 白玉神社・七夕神社・玉春神社、玉繁神社】
【白玉神社】
ご祭神:宇迦之御霊神
ご利益:五穀豊穣、商売繁盛
現在の大阪市北区中之島にあった某藩蔵屋敷に白玉稲荷神社として祀られていたが、蔵屋敷の解体に伴い、当時仲士頭として仕えていた野崎喜三郎氏の自宅(東区淡路町)に移して祀られた。明治13年、北区中之島に豊國神社が創建された際、「元々お祀りされていた中之島にお帰りになったほうがよい」と野崎氏から申し出があり、明治14年12月に、豊國神社境内に遷座されたと伝わっている。
【七夕神社】
ご祭神
稚日女尊、宇迦之御霊神
ご利益:良縁成就、安産、芸事上達
現在の北区東天満に「無各社 七夕稲荷神社」として祀られていたが、明治時代に行われた神社合祀政策により、明治40年に白玉神社と合祀されたと伝わっている。
稚日女尊は「若くてみずみずしい日の女神」という意味があり、天照大神の妹神ともいわれている。
【玉春神社・玉繁神社】
ご祭神:宇迦之御霊神
ご利益:五穀豊穣、商売繁盛
七夕神社と同じく、明治の神社合祀政策により、七夕神社とほぼ同時期に合祀されたと伝わっている。
豊國神社のとなりにある修道館では、剣道の大会が行われていた。多くの人が外からのぞいていたが、その多くは外国人観光客だった。それに混じって、私も見させてもらった。
【石山本願寺跡の石標】
修道館の横にあるのが石山本願寺跡の石標だ。
石山本願寺といえば、信長と浄土真宗本願寺十一世法主顕如との石山合戦が有名だ。天下統一を目指す信長は経済の中心地であった大阪に拠点を作りたく、巨大勢力であった浄土真宗本願寺派のボス顕如に石山を明け渡せと要求をした。
信長は各地で浄土真宗本願寺派による一向一揆には腹を立てていた。また毛利輝元が本願寺派側についたことも戦いを激化させた。
この毛利軍に瀬戸内海で海賊と呼ばれた村上水軍がついた。この村上水軍の活躍は和田竜氏の「村上海賊の娘」に描かれている。10年におよぶ信長と本願寺派との戦いは、兵糧が底をついた本願寺派が石山退去という信長の条件をのんで決着がついた。
しかし顕如の息子教如は石山をどかなかった。これがやがて親子の断絶から本願寺派の分裂につながることになる。
この続きは、また後日。
大阪城、豊國神社の参拝を終え、駅に向かっていると気になるマンホールが・・・
2025年の大阪万博のマスコットキャラクターのミャクミャク君が色鮮やかに描かれたマンホールを見ることができた。
では、豊國神社の御朱印を紹介。
豊國神社の御朱印
豊國神社の御朱印は鳥居横の受付所でいただくことができる。
末社の御朱印を含め、豊國神社には5種類の御朱印がある。
直書きは豊國神社本社の御朱印で、残りは書き置きということなので、直書きの豊國神社の御朱印をお願いする。
志納金は300円。
いただいた御朱印と御朱印帳で秀吉像をバックに撮影。
「出世開運」と書かれた幟は気持ちよく風で翻っていた。
以上が豊國神社へ伺った際の紹介です。
大阪城からのアクセスはとても良く大阪城に訪れた際は是非とも足を運んでいただきたい神社だった。
豊國神社のアクセスと基本情報
【豊國神社の所在地】
〒540-0002
大阪府大阪市中央区大阪城2−1
【豊國神社の電話番号】
(受付時間:9時~17時まで)
最後に豊國神社にピッタリの御朱印帳を紹介
ふくろうは知恵の象徴として有名です。豊臣秀吉は知恵で戦国時代を生き抜き出世した人物。
そのためふくろうの御朱印帳がぴったり!
ふくろうは「福来郎」で福が来る、「不苦労」で苦労しないなどの字が当てられる、縁起のいい生き物としても知られています。
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