こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは豊臣秀吉が四国を平定したのちに出来た戦国末期のお城「徳島城」です。
徳島城は日本百名城にも選ばれています!
明治に城郭は解体されたものの、今なお人々に愛される魅力を探ってきました。
実際に徳島城へ伺い、沢山の画像を使用して詳しく分かりやすくご紹介します。
これから徳島城に行かれる方は是非とも参考にしていただき、徳島城巡りをお楽しみください。
目次
徳島城とは
徳島城は天正13年(1585年)に阿波国の領主となった蜂須賀家政によって建設されました。
築城にあたっては天下人豊臣秀吉の命により、小早川隆景や長宗我部元親、比叡山の僧侶が協力しました。
徳島城は標高約31mの城山と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城でした。徳島城の構造は、山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸、南麓の御殿(現在は一部が徳島城博物館)、西麓には隠居した藩主らの住んだ西の丸からなる平山城でした。藩祖家政から14代茂韶までの280余年の間、藩主の居城として徳島藩のシンボルであった徳島城は、明治になると役目を終え、明治8年(1875年)に解体され、現在では石垣や表御殿の庭園を残すだけとなりました。
実際に徳島城を訪れて
徳島での仕事のあと、徳島駅の近くにある徳島城跡に行くことに。
徳島駅側から「鷲の門」に向かう。
鷲の門は徳島中央公園の南側にあり、上の地図では20番の位置になる。
【徳島城の鷲の門】
この「鷲の門」がかつての徳島城の正門だ。
昭和20年(1945年)に戦災で消失したが平成元年(1989年)に復元された。
また、鷲の門という名前は、3代藩主・蜂須賀光隆が幕府に「鷲を飼うための通用門」と届け出て許しを得たため、「鷲の門」と呼ばれたと伝わる。
実際に鷲が飼育されたかどうかは、はっきりしないとのこと。
改めて、鷲の門から徳島城跡に入る。
【徳島城の下乗橋】
下乗橋でお堀を渡って、城郭の中に入る。
下乗橋という名前は、橋の前で駕籠(かご)や馬から降りて歩いて渡っていたことから由来している。
元々は防衛の観点から木造の橋でしたが、幕府体制が終わり廃城になった明治2年に石橋に架け替えられている。
橋の右側は月見櫓跡、左側が太鼓櫓となっている。
橋を渡る際は石垣に注目してほしい。
徳島城の石垣は、阿波青石と言われる緑色片岩を用いた「緑色の石垣」として知られている。
かすかに光沢のある青緑色の石垣が残る城内は、ほかのお城とは異なる神秘的な雰囲気に包まれている。
また、徳島城の石垣はその積み方にも注目してほしい。
一般的な石垣は石を積んでいく際にすき間ができないよう、石を砕いたり表面を削って加工を施するが、徳島城の石垣は自然の石をそのままの形で加工せず積み上げていく「野面積み(のづらづみ)」という技法が使われている。
様々な形や大きさの石が積み重ねられた石垣は、荒々しさの中にも独特な美しさを生み出している。
徳島城の敷地内に入ると公園になっていて、幼稚園か保育園の遠足か、子どもたちがにぎやかに遊んでいた。天気もいい。
かつては御殿があった場所が、現在は地域の人々の憩いの場となっている。
正面に「徳島城博物館」があった。ここはあとで観ることにして、まわりを散策する。
【城山の貝塚】市指定文化財(史跡)
貝塚跡や記念碑があって、蜂須賀家政公の銅像があった。
貝塚は古代人が食料とした貝や魚類・鳥獣類などの残滓や、生活に使用した土器や石器などを処分したゴミ捨て場であり、時には死者を埋葬する墓地でもあった。城山の貝塚は当時の人々の生活や自然環境を知るうえで重要な遺跡として評価されている。
また、大正11年(1922年)に鳥居龍蔵博士らによって発掘調査が行われるなど、徳島県における考古学調査の先駆けとなった遺跡としても評価されている。
【文学博士鳥居龍蔵先生記念碑】
城山の貝塚の近くには、城山貝塚古墳の発掘調査をした文学博士の鳥居龍蔵博士の記念碑が建てられている。
【蜂須賀家政公銅像】
蜂須賀家政公は豊臣秀吉の四国平定の功により阿波一国を賜り、阿波の産業復興に尽力したとある。阿波踊りもその頃に始まったようだ。さらには、もともとは、ここには蜂須賀小六(ころく)正勝公の銅像があったとのこと。
蜂須賀小六正勝は蜂須賀家の家祖とされている。蜂須賀小六といえば、夜盗、土豪というイメージだったが、改めて調べると、この夜盗、土豪というのは創作話で、尾張の蜂須賀領で生まれていることから領主の子なのだ。
中学生のころ、吉川英治の『太閤記』にはまったのを思い出す。太閤記では、蜂須賀小六は強烈な個性だった。小六は10才も年下の秀吉の配下になり、大活躍する。秀吉が藤吉郎とよばれるころからの家来だが、このころは家来というよりも仲間とよぶほうが近かったのかもしれない。特に「墨俣一夜城」のくだりでは大活躍で、迫力があって、こわいけれどもかっこいい印象がある。
ただこの墨俣一夜城も現在では、史実として裏付けが乏しいとされているようだ。以降、数々の秀吉の合戦には、蜂須賀小六正勝は勝利に導く功を挙げている。
備中高松城の戦いでも正勝は奮闘し、本能寺での信長の死の報に接しながら、毛利方と和睦の交渉をするという重要な役割を黒田官兵衛とともに果たしている。“武”だけではない“知”の正勝だ。息子の家政は、秀吉の命で四国征伐、朝鮮出兵を果たしているが、秀吉没後は、反三成となり加藤清正や福島正則らとともに三成を襲撃している。
2023年放送の大河ドラマ「どうする家康」では、格闘家の武田幸三さんが家政役を演じ、三成に怒りをぶつけるシーンがあった。家政は関ケ原では東軍につき、関ケ原後は、家康から阿波国の所領を安堵され、その後3代将軍家光にも仕えている。
蜂須賀家政公の銅像を後にし、さらに散策する。
【8620形式蒸気機関車】
この蒸気機関車は大正12年から徳島の地で「汽車ポッポ」の愛称で親しまれてきたが、昭和44年7月22日の運行を最後に鉄道からその姿を消した。
46年間数多くの人々に利用され、鉄道沿線はもとより徳島全域の発展に大きな役割を果たしたことから、ここに保存されている。
【竜王さんのクス】
城山で最大のクスノキの古木。樹齢は推定600年とされる。昭和9年の室戸台風で倒木。
このクスから西へ100mの場所に竜王神社があったことから「竜王さんのクス」と呼ばれている。
大きさもさることながら、迫力ある樹形は圧巻の一言である。
いよいよ徳島城の本丸跡を目指す。
【徳島城の本丸跡ルート】
徳島城のルートとしては二つあるが、今回は徳島城を回りこむように西の裏手から本丸跡に向かうことに。
本丸跡の登り道を進むとうっすら汗が出る、緑がとても気持ちいい。
歩いて登れるくらいの低い山(標高61m)に主郭を築いているので徳島城は平山城に分類される城だ。
本丸跡は何もない公園となっている。
天守は東二の丸に築かれていたため、本丸には詰所(番所)や櫓などが設けられていた。
徳島城は明治6年の廃城令により解体撤去されている。
東から石段を降りるが、石段がなかなか急だ。これは裏からまわって上ったのは正解だった。
足腰に自信がない方は裏手からのルートをお勧めする。
城山を降り、徳島城博物館に向かう。いちょうが黄金色に色づいていてきれいだった。
(訪れたのは2023年11月)
【徳島城博物館】
入場料500円を払い、徳島城博物館に入る。「特別展 阿波戦国絵巻」という展示会が催されていた。
中は撮影禁止のため写真は撮れず。
(特別展は期間限定のため現在は終了)
博物館のとなりの日本庭園が見事だ。しばし鑑賞する。博物館入館者は無料で観覧できるので是非とも見て頂きたい。
【名勝 旧徳島城表御殿庭園】
徳島城表御殿庭園は阿波の青石をふんだんに使った築山泉水庭と枯山水庭園が一体となった桃山様式の庭園となっている。
蜂須賀小六と家政に思いをはせた徳島城の見学だった。
では、目的の一つでもある御城印をいただきに徳島城博物館ミュージアムショップに向かう。
徳島城の御城印
徳島城博物館ミュージアムショップは徳島市立徳島城博物館の中にある。
お城印は300円で販売されていた。
日本庭園をバックにお城印を撮影。
お城印にある家紋はもちろん蜂須賀家のもの。
徳島城のアクセスと基本情報
徳島城博物館
【徳島城博物館の所在地】
〒770-0851
徳島県徳島市徳島町城内1番地の8
【徳島城博物館の電話番号】
【徳島城博物館の開館時間・休館日】
開館時間:午前9時30分から午後5時(入場時間は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日(日曜・祝日の場合は開館)
その他年末年始、館内燻蒸作業、特別展開催準備など
【徳島城博物館の入館料】
一般300円
高校生・大学生200円
中学生以下無料
※特別展の観覧料は別に定めます。
※博物館入館者は、旧徳島城表御殿庭園をご覧になれます。
最後に徳島城にピッタリの御城印帳をご紹介
今回ご紹介する御城印帳は本文への差し込み式が特徴!
さらに、黒色の紙が御城印をいっそう引き立てます!
御城印がカッコよく見えるという口コミから多くの方が注文されています!!!
気になる方は早めにご注文ください〜^^
日宝綜合製本では可愛い御朱印帳から箔押しのカッコいい御朱印帳まで様々なデザインの御朱印帳を販売しています。
是非ともAmazon又は楽天市場にてご検討ください^^
日宝の様々な御朱印帳は下記のボタンからご覧いただけます!
さらに!さらに!!
「日宝はオリジナルの御朱印帳」も製作可能です。
お寺、神社のオリジナル御朱印帳の製作はもちろん、デザインや表紙素材のご提案も可能です!
現在、オリジナル御朱印帳のご検討をされている方はご相談だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください〜^^
ご興味がある方は下記のページをクリック♫
日宝綜合製本株式会社
岡山県岡山市中区今在家197-1(各所在地を見る)