こんにちは!
全国各地のご朱印、お城印集めが趣味の神宮寺城一郎です!
今回ご紹介するのは「広島東照宮」です。
東照宮といえば徳川家康公が祀られていることで有名ですが、広島東照宮は城下町広島の総鎮守、長く広島を見守ってきた存在として親しまれています。
今回も沢山の画像で紹介していますので、こちらの記事をご参考に、より「広島東照宮」の参拝をお楽しみください。
目次
広島東照宮のアクセスと基本情報
【広島東照宮の所在地】
〒732-0057
広島県広島市東区二葉の里2-1-18
【広島東照宮の電話番号】
【広島東照宮の受付時間】
9時~16時(年中無休)
【自動車でのアクセスの場合】
・広島駅新幹線口から 3分
・山陽自動車道 広島IC又は広島東ICから 20分
駐車場あり。参道の坂をのぼって社殿横へ。
【公共交通機関でのアクセスの場合】
・JR広島駅(新幹線口)から 徒歩8分
・東照宮入口バス停留所から 徒歩5分
広島東照宮のご由緒
【ご祭神】
徳川家康公
天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城で誕生。 当時は戦乱の世で、幼い時から人質にとられるなど大変な苦労や困難に耐えながら生きてきた。そして関ヶ原の戦いに勝利、日本統一を果たす。260余年にわたる江戸時代の文化と平和を確立し、近代日本の発展に寄与した。元和2年(1616年)4月17日75才に駿府城で亡くなる。
広島東照宮は、当時の広島藩2代目藩主・浅野光晟(みつあきら)公によって造営された。
光晟公の祖父・長政は、豊臣秀吉の妻ねね(おね)が浅野家の養女になっていたことから、秀吉とは義兄弟の関係になり、豊臣政権下では五奉行の一人となっている。
光晟公の父・長晟(ながあきら)は、長政の二男。兄の幸長は嗣子がなく病死したため、二男の長晟が家督を継いだ。長晟は関ケ原では東軍についている。長晟の兄・幸長は石田三成と犬猿の仲だったらしい。
関ケ原後、長晟が紀伊和歌山藩の藩主だったときに、家康の三女・振姫(ふりひめ)を妻として迎えている。その長晟と振姫との子が光晟公である。長晟は紀伊から移封となり、安芸広島藩の初代藩主となっている。
光晟公は安芸広島藩の二代目藩主だ。母が家康の娘ということもあって、祖父徳川家康を敬慕する思いが強く、広島東照宮を造営した。ちなみに初代赤穂藩主・浅野長直は、光晟公と父親同士が兄弟で、いとこの関係にある。
実際に広島東照宮を訪れて
伺った日は広島出張。朝早く移動して広島東照宮に参拝する。
広島駅新幹線口(北口)から歩いて広島東照宮に向う。
広島駅の北側には、「二葉の里歴史の散歩道」があり、広島東照宮はその中心に位置するようだ。
【二葉の里歴史の散歩道】
「二葉の里歴史の散歩道」には、広島市内唯一の国宝である不動院の金堂をはじめとした、由緒ある神社・仏閣が数多く点在しており、散歩道を散策しながら広島市の歴史の一端を知ることのできる絶好のスポットとなっていた。
二葉の里歴史の散歩道は不動院から二葉山のすそを巡り、矢賀駅までを巡るコース。
その距離は約12キロと少し距離があるが、随所に見どころのある神社や仏閣があるため楽しみながら散策ができそうだ。
二葉の里歴史の散歩道では毎月28日の「ふたばの日」にボランティアガイドによる定期ガイドが開催され、5つのコースの中でも特に人気なのが「らくらく七福神コース」だそうだ。
散歩道を巡るのはまたの機会に、広島東照宮へ向かう。
広島駅から歩いて12分で、東照宮の正面に着いた。広島駅からも比較的近い場所にあり参拝しやすい東照宮となっているので広島に訪れた際には是非とも「広島東照宮」へ、足を運んでいただきたい。
【広島東照宮の社号標】
石鳥居の前方に立派な社号標と灯籠がある。
【広島東照宮の石鳥居】
広島東照宮の石鳥居は、慶安元年に三次藩の藩主浅野長治から寄贈されたもので、その石鳥居のある参道の両脇にはそれぞれ17基の灯籠が並んでいる。
これは徳川家康の命日にあたる17日にちなんでの数とのこと。
ちなみに、広島東照宮の境内には徳川家の家紋である「三つ葉葵」をあしらった灯籠がいくつかあるが、そのうちのひとつだけ家紋が逆さまになっている灯籠があるので是非探してみてほしい。
これは同じく家康公を御祭神にまつられている日光東照宮の陽明門の「逆柱」と同じ意味で「建物は完成した瞬間から壊れる」という言い伝えを逆手に取り、あえて逆さまにすることで未完成の状態になり「これからも発展し続ける」という願いと縁起が込められている。
【広島東照宮の扁額】
石鳥居の中央に掲げられた「廣島東照宮」の扁額は歴史を感じさせる出で立ちだ。
石鳥居の向こうには見事な門と左右の回廊が見える。
鳥居の前で一礼してくぐり、参道を進んだ先には長い石段がある。
【広島東照宮の唐門・翼廊】広島市指定重要文化財
この石段にも17という命日の数と関係があり、石段の数が17の3倍の51段あるそうだ。
51段の石段を上った先に続くのが迫力のある出で立ちの「唐門」だ。
【広島東照宮の唐門】
この門は唐様の様式で、「唐門」と呼ばれる。日光東照宮での陽明門にあたる。
欄間には透かし彫りや鶴の彫刻など手の込んだ装飾が施されている。
門の両端には、蝦蟇仙人(がませんにん)と李鉄拐(りてっかい)という中国の仙人の彫刻が施されている。
唐門正面には「長尾山」と書かれた華やかな装飾の額がある。
なぜ長尾山なのか。それは広島東照宮の建立にあたり、江戸の上野寛永寺の末寺・長尾山(ちょうびさん)松栄寺を別当寺として勧請したことに由来している。
唐門の左右には和様の翼廊だ。唐門とは対照的に簡素な構えとなっている。
唐と和の様式が上手く合わさったこの唐門と翼廊がかっこいい!
唐門の前で一礼してくぐる。唐門の左右の翼廊の内側が見える。
創建の頃から存在し、爆風により傾きはしたが被爆による焼失を免れているため、広島の歴史・文化上とても価値が高い。
唐門をくぐると左手すぐには「フクロウ」がある。
【広島東照宮のフクロウ】
今までもフクロウを大事にしている神社はいくつもあり、フクロウは「福来郎」や「不苦労」といった字もあてられ、幸運を呼ぶ縁起のいい動物なのだ。
東照宮がある森には昔からフクロウが棲息しているとのこと。
像が設置されているセンダンの木の洞穴にも毎年フクロウ科の鳥が産卵し、数多くの鳥が巣立っていったという。
しかし平成18年に突如木が枯れてしまい、やむなく伐採。現在の形で保存されている。
横から見ると台座となっているセンダンの木には大きな穴が開いている。ここから巣立った鳥たちは何処に行ったのか。安息の地を見つけられていることを願う。
フクロウのさらに左には「手水舎」がある。
【広島東照宮の手水舎】広島市指定重要文化財
消失した拝殿と本殿に近いこの手水舎には、昭和50年頃まで焼け焦げた跡があったが昭和54年に修復を施し建立時の姿へと復元された。
また、この手水舎は「総朱漆塗」や「蛙段の月と兎」など桃山時代の建築様式を現代に遺す建造物となっていたので意識してご覧いただきたい。
手水舎で手と心を浄め先を進むとすぐに「拝殿」がある。
【広島東照宮の拝殿】
現在は補修のため足場が組まれ、その全様を見ることはできなかった。
二拝二拍手一拝で参拝する。
この奥には本殿がある。本殿・拝殿はどちらも昭和20年の原爆投下により焼失している。
当時、ご神体は神社に駐在していた陸軍第二総軍通信隊の消火活動によって無事であった。
現在の本殿は昭和59年に、拝殿は昭和40年に再建されたものだ。
【広島東照宮の本殿】
本殿を後ろから。
本殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の銅板葺だが、当時は檜皮葺の屋根だったとのこと。
広島東照宮の境内を見て回る。
【広島東照宮:本地堂】広島市指定重要文化財
唐門をくぐって右手には本地堂がある。
本地堂は広島東照宮創建時である1648年から現存している建物で、江戸時代の建築様式が見られる貴重な文化遺産のひとつだ。
造営当初は家康公の本地仏である薬師如来が祀られていた。明治以降は神輿舎に転用されている。
老朽化が進み、損壊が危ぶまれる状態のため、令和3年から令和6年にかけて全解体修理が行われた。
本地堂の屋根の四隅には鬼瓦がいる。
【広島東照宮:ジャンボ釜】
広島はかつて全国で風呂釜の八割を生産して鋳物王国といわれた。その伝統を伝えるため復元され、寄進されている。
【広島東照宮:御産稲荷社(おさんいなりしゃ)】
東照宮のご祭神である徳川家康公は、寅年の寅の日の寅の刻生まれ。
母・於大の方は家康公を身籠った際、無事に生まれて立派な武将になるよう、薬師如来に祈願した。このことから東照宮へのお参りは安産のご利益があると伝わるようになった。
広島東照宮の御産稲荷社は「お産さん」と呼ばれ、安産を祈願する人々が多く参拝されている。
【広島東照宮:福禄寿】
御産稲荷社の左隣には、「福禄寿」が安置されている。
福禄寿は円満な性格、誰からも信頼され、尊敬されるという徳を与えてくださる。
長い頭は冷静に慎重に物事を考えて行動することを表し、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿、以上三つを併せ持つ神様である。
【広島東照宮:御神井(ごしんせい)】
福禄寿からさらに左へ進むと御神井がある。
東照宮山の東脇を俗に風呂の谷山といい、常に水が湧き、干ばつにも絶えなかったと古書に記録されている。これは大阪の「亀の井」によく似ていることから、人々は「亀井の水」と呼んだ。
この井戸水は祭典や春秋例祭の茶会、元日の雑煮、七草がゆなどにも用いられる。
【広島東照宮:祖霊社】
こちらの祖霊社には「天之御中主大神(アメノミナカヌシ)」が祀られている。
天之御中主大神は古事記では最初に登場する神で長寿や厄除け、無病、開運、安産のご利益がある。
本殿の隣には梅の花がきれいに咲いていた。
梅の花は例年2月中旬から3月上旬にかけて見頃を迎える。参拝した時にはまだ蕾が咲き始めのところもあったが、今頃は満開とよりきれいに咲いているであろう。
参拝が終わったので目的の御朱印をいただきに向かう。
広島東照宮の御朱印
御朱印の授与所は、拝殿に向かって左手にある。
授与所の向かい側にはたくさんのお守りや絵馬があった。
広島東照宮でいただける御朱印は4種類。
すべて書き置きのみとなっていた。
初穂料は写真の1番2番が500円。
3番4番は300円。
また、寅の日限定でいただくことのできる御朱印もあった。
こちらの初穂料は500円。
広島東照宮から京橋川を渡った向こうにある白鳥九軒町にある「碇神社(いかりじんじゃ)」の御朱印もこちらでいただくことができる。
今回は、令和6年の御朱印をお願いする。
真ん中には大きくで徳川家の家紋「三つ葉葵」とその周りを「廣島東照宮」という言葉が書かれた朱印が押され、令和6年は辰年ということで、龍のイラストが描かれている御朱印となっていた。
ここで一つ紹介。
今回伺った、広島東照宮のような書き置き御朱印はどのように御朱印帳に貼り付けているだろうか?
「水のり」で貼ると御朱印がふやけてしまい台無しになったという経験もあると思います。
そこでオススメなのが「書き置き御朱印専用シール」
御朱印の四隅に専用シールを貼り、御朱印帳に貼ると綺麗に御朱印が貼れるアイテムとなっています。
この書き置き御朱印専用シールは日宝綜合製本株式会社のAmazon・楽天市場にて販売しているので気にになった方はご検討ください。
最後に広島東照宮にぴったりの御朱印帳をご紹介
今回ご紹介するのはふくろうの御朱印帳です。
広島東照宮がある二葉山は古くからふくろうが棲息していて、境内にもふくろうの像があります。
ふくろうは「吉祥の鳥」であり、とても縁起が良くおめでたい存在として伝わっています。
当店でもふくろう柄の御朱印帳は大人気! その愛らしい姿も人気の秘密かもしれません。
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